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大谷勝信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大谷 勝信(おおたに しょうしん、 1878年(明治11年)9月23日-1951年(昭和26年)6月26日 )は、浄土真宗の僧で、真宗大谷派連枝。同派桑名別院本統寺大垣別院開闡寺住職。院号は慧日院。法名は厳量。幼名は信麿。別号は皐蘭。

来歴

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東本願寺第21世法主大谷光勝(厳如)の九男として生まれる。母は伏見宮邦家親王の四女・和子

1887年(明治20年)に桑名別院本統寺住職に就任。1898年(明治31年)より大谷瑩誠中国上海に赴き、東本願寺により杭州蘇州南京に創立された日文学堂に関わる。さらに1900年(明治33年)には大垣別院開闡寺住職を兼務。その後も、寺務総長や宗学院院長などの宗派の要職を歴任した。

1951年(昭和26年)6月26日、73歳(享年75)にて逝去。

リンク

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