大農丞
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大農丞(だいのうじょう)は、古代中国の前漢の一時期、紀元前144年か紀元前143年から、紀元前104年まであった官職である[1]。定員2名[2]。農業・商業・財政を掌る大農令を補佐した。
解説
[編集]もと、治粟内史を補佐する治粟内史丞で、治粟内史が大農令と改称したときに大農丞となった。大農令が大司農と改称したとき、大農丞は大司農丞となった。2人のうち1人を特に大農中丞ということもあった。
大農丞の人物
[編集]東郭咸陽と孔僅は商人出身で、大農丞となって塩鉄を担当した。孔僅は数年で大農令に昇進した。やはり商人出身の桑弘羊が大農丞となり、数年で治粟都尉という大農を統括する臨時職に就いた。
- 東郭咸陽 - 元狩4年(紀元前119年)任[3][4]
- 孔僅 - 元狩4年(紀元前119年)任[3][4] - 元鼎2年(紀元前115年)、大農令[5][6]
- 桑弘羊 - 元鼎2年(紀元前115年)任、大農中丞[5][7] - 元封元年(紀元前110年)、治粟都尉[8][9]。
脚注
[編集]- ^ 改称時期について詳しくは大農令#改称時期を参照。
- ^ 『漢書』巻19上、百官公卿表第7上。『『漢書』百官公卿表訳注』86頁。
- ^ a b 『史記』巻20、平準書第8。ちくま学芸文庫版『史記』2の220頁。
- ^ a b 『漢書』巻24、食貨志第4。ちくま学芸文庫版『漢書』2の471頁。
- ^ a b 『史記』巻20、平準書第8。ちくま学芸文庫版『史記』2の226頁。
- ^ 『漢書』巻24、食貨志第4。ちくま学芸文庫版『漢書』2の473頁。
- ^ 『漢書』巻24、食貨志第4。ちくま学芸文庫版『漢書』2の474頁。
- ^ 『史記』巻20、平準史書第8。ちくま学芸文庫版『漢書』2の234頁。
- ^ 『漢書』巻24、食貨志第4。ちくま学芸文庫版『漢書』2の480頁。