大道村 (大阪府)
だいどうむら 大道村 | |
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廃止日 | 1925年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 西成郡・東成郡計17町27村→大阪市 (大阪市第二次市域拡張) |
現在の自治体 | 大阪市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 大阪府 |
郡 | 西成郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
1,468人 (国勢調査、1920年) |
隣接自治体 |
西成郡中島村・新庄村・豊里村 三島郡吹田町 北河内郡庭窪村・守口町 |
大道村役場 | |
所在地 | 大阪府西成郡大道村大字北大道 |
座標 | 北緯34度44分47秒 東経135度32分41秒 / 北緯34.74631度 東経135.54464度座標: 北緯34度44分47秒 東経135度32分41秒 / 北緯34.74631度 東経135.54464度 |
ウィキプロジェクト |
大道村(だいどうむら)は、かつて大阪府西成郡に存在した村。現在の大阪市東淀川区の東部にあたる。
歴史
[編集]旧村内に位置する三宝寺跡伝承地の発掘調査では縄文土器が発見されている[1][2]。
『日本書紀』の応神朝22年(291年)3月5日・14日の条に「天皇幸難波、居於大隅宮、登高台而遠望 (すめらみこと なにわ みゆきし おおすみのみやにおいて たかきやに のぼりて えんぼうす)」との記載がある[3]。応神天皇の離宮(行宮)である「大隅宮」が建てられていたとされる大隅島の一部に大道村は相当する。村の産土神であった大隅神社は大隅宮址に建立された神祠を起源としている[4][5]。
『日本書紀』の安閑朝2年(532年)9月13日の条に「勅して牛を難波大隅嶋並びに媛嶋松原に放たしむ」と記されている[6]。この難波大隅嶋と媛嶋松原は「大隅媛嶋の二牧を罷む」という記述が『続日本紀』霊亀2年(716年)2月2日の条にもある[7]。平安時代に入っても、この付近では乳牛を放牧してその牛乳を朝廷に献上しており、のちには「乳牛の牧」という荘園になった[8]。
中世以降、乳牛牧荘大道村とも呼ばれていた[9]。現在の大桐5丁目には、乳牛牧跡の石碑がある[10]。
大道村の範囲は広く、今の大桐、大道南、瑞光、大隅、井高野、小松をも含んでいた。なお、この地には、三宝寺、辻堂、東頭、別所、今在家、逆巻、濱、井高野、島頭などと呼ばれる地域(字地)もあった[11]。
小松は、大道新家、北大道村大字小松や中嶋(中島)村大字小松などと時代によって違っている[12][13]。1868年(明治元年)に大道新家村から小松村に正式に改称され、町村制施行に際しては江口村と合併して中島村が発足している。
阪巻村は現在淀川の川底にある[14]。
昔、淀川を京に向け逆上る船は、大宮神社の森を目標にして西風を利用して逆航し、当時の大宮神社付近で帆を一担おろし、舵を北に取って帆を逆に巻き揚げ北進し、辻堂の浜にかかって舵を東に帆を元にもどして、江口・鳥飼へと東進し、川を逆上って行ったと言われている。この大宮神社があった付近が阪巻村である。大宮神社は移動して、現在大道南3丁目2-2にある[15]。
知行
[編集]- 摂津国 西成郡 南大道村:仙石松渓知行所 大阪府
- 摂津国 西成郡 西大道村:仙石松渓知行所 大阪府
- 摂津国 西成郡 北大道村:土井大炊頭(古河藩)領分 古河県
※明治時代初期に作成された『旧高旧領取調帳』(きゅうだかきゅうりょうとりしらべちょう)[16]より。
沿革
[編集]- 1643年(寛永20年) 西成郡大道村が北大道村、西大道村、南大道村に分村。
- 大道新家村はこの時の成立とも、1672年(寛文12年)の成立とも言われる。
- 1889年(明治22年)4月1日 町村制の施行により、西成郡北大道村、西大道村、南大道村が合併して西成郡大道村(町村制)が発足。大字北大道に村役場を設置。
- 1925年(大正14年)4月1日 大阪市第2次市域拡張により、新設の東淀川区の一部となる。
経済
[編集]産業
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば、大道村の篤農家は、「西田平哉、大道親正、出口慶吉、北野梶三郎」などである[17]。
地域
[編集]施設
[編集]- 宗教
脚注
[編集]- ^ 三宝寺跡伝承地(東淀川区)出土の縄文土器と寺院関係遺物 - 大阪歴史博物館
- ^ 『三宝寺跡伝承地D地点発掘調査報告』大阪市博物館協会大阪文化財研究所、2013年、国立国会図書館サーチ
- ^ 舎人親王 編「巻第十 譽田天皇(應神天皇)」『日本書紀[5]』刊年不明 。
- ^ 大隅神社 - 大阪市東淀川区
- ^ 直木孝次郎・中尾芳治 編『シンポジウム:古代の難波と難波宮』学生社、2003年、p.15、97の地図で大隅島の位置が確認出来る
- ^ 舎人親王 編「巻第十八 廣國押武金日天皇(安閑天皇)」『日本書紀[9]』刊年不明 。
- ^ 「巻第七 日本根子髙瑞浄足姫天皇(元正天皇)」『国史大系第2巻 続日本紀』経済雑誌社、1897年、96頁 。
- ^ 東淀川区のなりたち
- ^ 井上正雄『大阪府全志』 巻之三、大阪府全志発行所、1922年、400頁 。
- ^ 乳牛牧跡(ちゅうしまきあと・ちちうしのまきあと) - 大阪市東淀川区
- ^ 井上正雄『大阪府全志』 巻之三、大阪府全志発行所、1922年、396-410頁 。
- ^ 井上正雄『大阪府全志』 巻之三、大阪府全志発行所、1922年、397,405-406頁 。
- ^ 西岡秀爾、「摂津中嶋三宝寺とその周辺」『印度学仏教学研究』 2007年 55巻 2号 p.1007-1004,1288, doi:10.4259/ibk.55.1007、日本印度学仏教学会
- ^ 逆巻の地蔵尊(さかまきのじぞうそん) - 大阪市東淀川区
- ^ 大宮 - 大阪市東淀川区
- ^ 旧高旧領取調帳データベース/国立歴史民俗博物館
- ^ 『大日本篤農家名鑑』188頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月14日閲覧。
- ^ a b c d 『大阪府仏教各宗聯合寺院名簿』46-47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月14日閲覧。
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 『大阪府仏教各宗聯合寺院名簿』参業会編纂部、1913年。