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大隅神社 (大阪市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大隅神社

鳥居
所在地 大阪府大阪市東淀川区大桐5丁目14-81
位置 北緯34度44分59.6秒 東経135度33分2.6秒 / 北緯34.749889度 東経135.550722度 / 34.749889; 135.550722座標: 北緯34度44分59.6秒 東経135度33分2.6秒 / 北緯34.749889度 東経135.550722度 / 34.749889; 135.550722
主祭神 応神天皇別雷大神  
社格 旧村社
例祭 4月23日10月23日
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大隅神社(おおすみじんしゃ)は大阪市東淀川区大桐に鎮座する神社。

祭神

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歴史

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大隅島に応神天皇の離宮・大隅宮があり、天皇の崩御後、里人が祠を建て帝を奉祀し、後に淀川が氾濫した時に賀茂明神の御神体が漂着して合祀したという。 元禄年間(1688年~1703年)に荒廃し、宝永4年(1707年)宮寺曹洞宗大道寺の社僧天順が拝殿を再興。文政10年(1827年)には本殿の修復がなされたが、東西52間、南北63間あった境内地も明治初年の払い下げで周囲はことごとく民有地となる[1]。 『摂津名所図会』に「賀茂神祠 西大道村にあり、南大道・北大道・別所等の生土神とす。曹洞宗の禅刹これを守る。大祖皇神祠 同村にあり。傳云、祭神應仁天皇。」と記す[2][3]

  • 明治5年(1872年)村社に列す。
  • 明治6年(1873年)今の社名に改める。
  • 明治40年(1907年)神饌幣帛料供進社に指定される。
  • 明治42年(1909年)春日神社・厳島神社・松山神社・伊邪那美神社・稲生神社・八幡神社・天満神社を合祀[4]
  • 昭和15年(1940年)社殿を改築。
  • 昭和19年(1944年)松山神社が旧地に戻る。
  • 平成8年(1996年)社殿を改築。
  • 令和2年(2020年)稲生神社(大桐3丁目)を合祀。
合祀された神社の狛犬が拝殿前にずらりと並ぶ
攝州西成郡北中嶋之内、乳牛牧の荘とも呼ばれたこの地域に大道村・辻堂村・三宝寺村があり、これら3村の氏神として賀茂大明神・稲荷神・山王神を三社相殿(本社)に、祇園・伊勢・春日・八幡・天神を五神相殿(末社)に祀り、賀茂大明神社の境内にあった真言宗無本寺の僧が祭祀を兼帯し、上記3村は南大道村・北大道村・西大道村とも呼ばれ、まとめて三大道と稱されました。慶長12年、無本寺は三大院と改め、真言・禅宗の社僧は法祐坊から全良和尚まで8代続きました。貞享3年、玄光和尚は大道寺と改め、三世雲門和尚は竹凉菴を起こし、修行僧は100人を超すときもあり、禅修行と神社の維持・祭祀を受け継いできました。(乳牛山大道寺年譜参照) 大道寺十三世のとき明治維新を迎え、大道寺・竹凉菴を廃し明治6年、賀茂大明神社は大隅神社と改められました。此碑より北50メートルの飛地に大道寺の墓地が現存します。 — 禅宗曹洞派乳牛山大道寺跡碑文
-大隅神社境内-

交通

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出典

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  1. ^ 大阪府神道青年会「大阪府神社名鑑」(1971)
  2. ^ 原文ママ(適宜、句読点等補足)
  3. ^ 秋里籬嶌著述、竹原春朝齋圖會『攝津名所圖會』 巻之三、森本太助ほか4名出版、1796-98年、68-69頁https://dl.ndl.go.jp/pid/2563461/1/71 
  4. ^ 井上正雄『大阪府全志』 巻之三、大阪府全志発行所、1922年、401-402頁https://dl.ndl.go.jp/pid/965800/1/228 

外部リンク

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