大野勝三
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大野 勝三(おおの かつぞう、1903年《明治36年》12月10日 – 1990年《平成2年》11月26日[1])は、日本の逓信官僚。
岡山県玉野市宇藤木出身。旧制第六高等学校を経て、東京帝国大学法学部英法科卒業。初代郵政事務次官。在任期間は1949年6月1日~1954年2月1日。その後国際電信電話(現在のKDDIの前身の一)社長、エフエム東京社長。
三人兄弟の三男で、長兄は栄(さかえ)、次兄は哲生(てっせい)。次兄は岡山市議会議員を1回務めた。
来歴
[編集]- 1914年(大正3年)・・・ 逓信省に入省。京橋郵便局[2]。
- 1945年(昭和20年)7月25日・・・ 逓信局長に就任。
- 1949年(昭和24年)6月1日・・・ 初代郵政事務次官に就任。
- 1956年(昭和31年)9月15日・・・ 臨時株主総会にて国際電信電話専務取締役就任[3]。
- 1962年(昭和37年)5月30日・・・ 国際電信電話取締役副社長。
- 1964年(昭和39年)5月29日・・・ 国際電信電話取締役社長。
- 1968年(昭和43年)8月13日・・・ 国際電信電話株式会社相談役だった当時、山懸昌夫(日本海事協会会長)、関義長(三菱電機株式会社会長)、吉識雅夫(日本学術振興会理事長)らと共に宇宙開発委員会[4]委員に任命される。
- 1969年(昭和44年)・・・ 第15回前島密賞受賞。
- 1970年(昭和45年)・・・エフエム東京社長[1]。
- 1987年(昭和62年)・・・同社取締役相談役、全国FM放送協議会長[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c 『日本近現代人物履歴事典』108頁。
- ^ 『日本官僚制総合事典』265頁。
- ^ 渋沢社史データベース 「大野勝三」の検索結果
- ^ 旧・宇宙開発委員会 文部科学省資料一覧
参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年。
- 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。