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大野豊四

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大野おおの 豊四とよし
大野 豐四
生誕 1872年2月7日
日本の旗 日本 佐賀県
死没 (1937-07-19) 1937年7月19日(65歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1892年 - 1925年
最終階級 陸軍中将
墓所 青山霊園
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大野 豊四(おおの とよし、旧字体大野 豐四1872年2月7日明治4年12月29日) - 1937年昭和12年)7月19日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。位階勲等功級は従三位勲二等功四級[2]

経歴・人物

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佐賀県士族大野有禎の四男として生まれる[2]。子に陸軍少将の大野武城がいる[1][2]

1892年(明治25年)陸軍士官学校第3期卒業[1][3]1899年(明治32年)陸軍大学校第13期卒業[1][3]

1912年(明治45年)3月に岩国連隊区司令官、同月11日に陸軍歩兵大佐1912年(大正元年)9月に歩兵第15連隊長、1913年(大正2年)8月に第14師団参謀長、1915年(大正4年)8月に陸軍士官学校生徒隊長を経て、1917年(大正6年)8月に陸軍少将に昇進し、近衛歩兵第1旅団長を任ぜられた[1][3]

その後、1918年(大正7年)11月に朝鮮軍参謀長を経て、1921年(大正10年)7月に陸軍中将・第17師団長となり、1925年(大正14年)5月1日に待命、同月25日に予備役に編入した[1][3]

日清戦争および日露戦争に従軍し、その功より功五級および功四級金鵄勲章を賜った[4]

栄典

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親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 『日本陸軍将官辞典』157頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録』第8版、オ127頁
  3. ^ a b c d 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』102頁。
  4. ^ 『人事興信録』第4版、を70頁
  5. ^ 『官報』第2957号「叙任及辞令」1893年5月11日。
  6. ^ 『官報』第7701号「叙任及辞令」1909年3月2日。
  7. ^ 『官報』第8666号「叙任及辞令」1912年5月11日。
  8. ^ 『官報』第3888号「叙任及辞令」1925年8月8日。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第4版、人事興信所、1915年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第8版、人事興信所、1928年。