大野豊四
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大野 豐四 | |
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生誕 |
1872年2月7日 日本 佐賀県 |
死没 | 1937年7月19日(65歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1892年 - 1925年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
墓所 | 青山霊園 |
大野 豊四(おおの とよし、旧字体:大野 豐四、1872年2月7日(明治4年12月29日) - 1937年(昭和12年)7月19日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。位階勲等功級は従三位勲二等功四級[2]。
経歴・人物
[編集]佐賀県士族大野有禎の四男として生まれる[2]。子に陸軍少将の大野武城がいる[1][2]。
1892年(明治25年)陸軍士官学校第3期卒業[1][3]。1899年(明治32年)陸軍大学校第13期卒業[1][3]。
1912年(明治45年)3月に岩国連隊区司令官、同月11日に陸軍歩兵大佐、1912年(大正元年)9月に歩兵第15連隊長、1913年(大正2年)8月に第14師団参謀長、1915年(大正4年)8月に陸軍士官学校生徒隊長を経て、1917年(大正6年)8月に陸軍少将に昇進し、近衛歩兵第1旅団長を任ぜられた[1][3]。
その後、1918年(大正7年)11月に朝鮮軍参謀長を経て、1921年(大正10年)7月に陸軍中将・第17師団長となり、1925年(大正14年)5月1日に待命、同月25日に予備役に編入した[1][3]。
日清戦争および日露戦争に従軍し、その功より功五級および功四級金鵄勲章を賜った[4]。
栄典
[編集]- 1893年(明治26年)5月10日 - 正八位[5]
- 1909年(明治42年)3月1日 - 正六位[6]
- 1912年(明治45年)5月10日 - 従五位[7]
- 1925年(大正14年)6月24日 - 従三位[8]
親族
[編集]- 妻:大野さく(長三洲の門人・佐本寿人の次女)[2]
- 男:大野武城(陸軍少将)[2]
- 長女:大野香(海軍大佐、寿電業社長・橋本宙二の妻)[2]
- 二女:大野栄子[2]
- 三女:大野和子[2]
- 四女:大野晃子(座間市長・佐藤弥斗祖母)[2]
- 五女:大野道子[2]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 人事興信所編『人事興信録』第4版、人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録』第8版、人事興信所、1928年。