大阪外国語大学短期大学部
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大阪外国語大学短期大学部 | |
---|---|
大学設置 | 1958年 |
創立 | 1951年 |
廃止 | 1969年 |
学校種別 | 国立 |
本部所在地 | 大阪府大阪市天王寺区上本町8丁目[注釈 1] |
学部 |
英語科第二部 イスパニア語科第二部 中国語科第二部 ドイツ語科第二部 フランス語科第二部 ロシア語科第二部 |
大阪外国語大学短期大学部(おおさかがいこくごだいがくたんきだいがくぶ、英語: Junior College of Osaka University of Foreign Studies[1])は、大阪府大阪市天王寺区上本町8丁目[注釈 1]に本部を置いていた日本の国立大学である。1958年に設置され、1969年に廃止された。
概要
[編集]大学全体
[編集]- 大阪外国語大学に併設された日本の国立短期大学[2][3]で大阪府大阪市天王寺区に所在した[4][5]。
- 旧来の大阪外国語大学別科を発展改組する形で、3学科かつ入学総定員110名体制[6][7]で1958年に開学された[8][9][10][11]。
- その後は、学科の増設もあり最終的には6学科[12]で入学定員200名となり、全学科とも夜間部3年制となっていた[13]。
- 1964年度の入学生を最後に短期大学としての使命を終えた[注釈 2]。
- かつてのキャンパス跡地は現在、大阪国際交流センターとなっている。
教育および研究
[編集]- 外国語を通じて国際的実務に従事するに要する専門教育を施すと同時に、教養ある人材育成を目的としていた。英語のほか、中国語・ドイツ語・イスパニア語・フランス語・ロシア語があり、全国の短大ではユニークな学科が多かった。
- 専攻外国語以外に「民法」・「商法」・「国際法」・「経営学」・「会計学」・「商業学」など社会科学に関する科目も設置されていた[15]。
- 貿易従事者等の語学教育に資することをねらいに設立された[16][17]。
- 各学科の専門科目や一般教育科目については、右記も参照のこと[18]。
学風および特色
[編集]入学試験について
[編集]沿革
[編集]基礎データ
[編集]所在地
[編集]- 大阪府大阪市天王寺区上本町8丁目[注釈 1]
年度別学生数
[編集]- 各年の学生数はその該当年度の5月1日時点でのデータである。
学科名 | 英語科 | 中国語科 | イスパニア語科 | ドイツ語科 | フランス語科 | ロシア語科 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1958年 | 男49 女4 |
男22 女2 |
男27 女3 |
- | - | - | [28] |
1959年 | 男90 女7 |
男38 女2 |
男58 女3 |
男18 女1 |
男21 女5 |
男26 女2 |
[29][注 5] |
1960年 | 男119 女17 |
男42 女4 |
男69 女6 |
男35 女2 |
男31 女13 |
男38 女8 |
[31] |
1961年 | 男112 女21 |
男48 女6 |
男77 女8 |
男52 女3 |
男48 女20 |
男57 女13 |
[32] |
1962年 | 男104 女29 |
男43 女9 |
男70 女6 |
男52 女4 |
男56 女21 |
男57 女16 |
[33] |
1963年 | 男88 女32 |
男50 女10 |
男61 女13 |
男50 女11 |
男49 女16 |
男54 女10 |
[34] |
1964年 | 男75 女30 |
男54 女9 |
男68 女9 |
男45 女16 |
男58 女13 |
男55 女13 |
[35] |
1965年 | 男40 女13[注釈 4] |
男30 女6[注釈 4] |
男44 女8[注釈 4] |
男31 女12[注釈 4] |
男36 女9[注釈 4] |
男37 女6[注釈 4] |
[36] |
1966年 | 男18 女5[注釈 4] |
男16 女4[注釈 4] |
男18 女2[注釈 4] |
男12 女8[注釈 4] |
男16 女5[注釈 4] |
男19 女6[注釈 4] |
[37] |
1967年 | 男4 女0[注釈 4] |
男5 女0[注釈 4] |
- | 男1 女1[注釈 4] |
男2 女0[注釈 4] |
- | [38] |
1968年 | 男1 女0[注釈 4] |
- | 男2 女0[注釈 4] |
- | - | 男1 女0[注釈 4] |
[39] |
教育および研究
[編集]組織
[編集]- 英語科第二部 入学定員50名
- 中国語科第二部 入学定員30名
- イスパニア語科第二部 入学定員30名
- ドイツ語科第二部 入学定員30名
- フランス語科第二部 入学定員30名
- ロシア語科第二部 入学定員30名
専攻科
[編集]- なし
別科
[編集]- なし
大学関係者と組織
[編集]大学関係者一覧
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歴代学長
施設
[編集]キャンパス
[編集]- 大阪外国語大学と共同使用。
寮
[編集]- なし
対外関係
[編集]系列校
[編集]卒業後の進路について
[編集]就職について
[編集]注釈
[編集]注釈グループ
[編集]- ^ a b 現在は、「大阪市天王寺区上本町8丁目2番6号」に住居変更されている。
- ^ a b 1965年度より大阪外国語大学夜間部への切り替え[14][注 1]
- ^ 本来は、1967年度には廃止となっているはずだったが、当年度おいても若干名残留している学生がいたため、経過措置としての存続となっていた[26][27][注 3]。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 学生募集停止。
補足
[編集]出典
[編集]- ^ History of School of Foreign Studies, Osaka University(英語)より。2014年9月8日閲覧。
- ^ 教育小六法 昭和41年版より。
- ^ 文部省機構関係法令集 昭和40年度より。
- ^ 学校年鑑 1959より。
- ^ 大阪現勢 昭和37年版より。
- ^ 大学資料 (11)Aより。
- ^ 全国大学受験案内 昭和34年新版より。
- ^ 行政管理年報 第7巻より。
- ^ 国と地方の文教予算 昭和33年度 (広報資料)より。
- ^ 時の法令 4月23日(277)より。
- ^ 文部省年報 第86年(昭和33年度)より。
- ^ 文部省機構関係法令集 昭和41年度より。
- ^ 官庁便覧 第9巻 (文部省)より。
- ^ Chamber (165)より。
- ^ a b c d e 大阪外国語大学'1963.
- ^ 国会通過法律及び条約の概説 第27-29回より。
- ^ 国会年鑑 昭和34年版より。
- ^ 全国短大・高専職員録 昭和39年版より。
- ^ 大学資料 (11)Bより。
- ^ 晶文社'1964, p. 34.
- ^ 全国大学一覧 昭和27年度より。
- ^ 大学資料 (14)より。
- ^ 短期大学一覧 昭和34年度 (短期大学資料 ; 第23号)より。
- ^ 短期大学一覧 昭和40年度 (短期大学資料)より。
- ^ 短期大学一覧 昭和44年度 (短期大学資料)より。
- ^ 大学資料 (23)より。
- ^ 文部省年報 第95年報(昭和42年度)より。
- ^ 全国学校総覧 昭和34年版より。
- ^ 全国学校総覧 昭和35年版より。
- ^ 大阪市勢要覧 昭和34年版より。
- ^ 全国学校総覧 昭和36年版より。
- ^ 全国学校総覧 昭和37年版より。
- ^ 全国学校総覧 昭和38年版より。
- ^ 全国学校総覧 昭和39年版より。
- ^ 全国学校総覧 昭和40年版より。
- ^ 全国学校総覧 昭和41年版より。
- ^ 全国学校総覧 昭和42年版より。
- ^ 全国学校総覧 昭和43年版より。
- ^ 全国学校総覧 昭和44年版より。
- ^ 短期大学一覧 昭和39年度 (短期大学資料)より。
参考文献
[編集]- 晶文社編集部『全国短期大学受験案内 昭和40年度』晶文社編集部 。
- 大阪外国語大学『大阪外国語大学短期大学部要覧』大阪外国語大学。