大阪市立十三小学校
大阪市立十三小学校 | |
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北緯34度43分24.3秒 東経135度29分9.2秒 / 北緯34.723417度 東経135.485889度座標: 北緯34度43分24.3秒 東経135度29分9.2秒 / 北緯34.723417度 東経135.485889度 | |
過去の名称 |
西成郡神津尋常高等小学校小島分校 大阪市神津尋常小学校小島分校 大阪市十三尋常小学校 大阪市十三国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪市 |
校訓 | 強く、正しく、朗らかに |
設立年月日 | 1922年7月5日 |
創立記念日 | 12月1日 |
創立者 | 西成郡神津町 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B127210001099 |
所在地 | 〒532-0032 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大阪市立十三小学校(おおさかしりつ じゅうそうしょうがっこう)は、大阪府大阪市淀川区にある公立小学校。阪急電鉄十三駅の東側を校区とする。
1922年に神津尋常高等小学校(現在の大阪市立神津小学校)の分校として発足し、1926年に独立校となった。その後児童数の増加により大阪市木川尋常小学校(現在の大阪市立木川小学校)を分離している。2000年代時点では、1学年1学級の小規模校となっている。
沿革
[編集]学校所在地周辺は大正時代まで西成郡神津町に属していた。神津町では、大阪市街地の北部に近接する地理条件であったことに加え、十三駅の開業などにより人口が増加し、住宅地へと変化していった。
そのため神津町大字小島(現在地)に1922年7月5日、西成郡神津尋常高等小学校小島分校を設置した。この時に設置された小島分校が、現在の十三小学校の前身となっている。
神津町は1925年に大阪市に編入された。神津町大字小島は東淀川区十三東之町へ改称した(1974年淀川区十三東となる)が、引き続き小島分校と称した。編入後の1926年12月に小島分校が独立し、大阪市十三尋常小学校として開校した。さらに児童数が増加したため、1936年11月1日付で木川を校区から分離し、大阪市木川尋常小学校(現在の大阪市立木川小学校)が独立している。
1941年には国民学校令により、大阪市十三国民学校に改称した。
太平洋戦争の戦局悪化により、大阪市の国民学校では1944年以降学童疎開が実施されることになった。学童集団疎開は各行政区ごとに疎開先の府県が指定された。東淀川区(現淀川区の区域含む)の小学校では大阪府北摂方面が疎開先として割り当てられ、十三国民学校では大阪府豊能郡南豊島村・中豊島村(いずれも現在の豊中市曽根・服部付近)に集団疎開を実施した。学童疎開は終戦後の1945年10月まで続いた。
1947年の学制改革により、大阪市立十三小学校となった。2009年末には新校舎が完成し、2010年1月より使用を開始している。
年表
[編集]- 1922年(大正11年)
- 6月 - 木造2階建て校舎完成。
- 7月5日 - 西成郡神津尋常高等小学校小島分校を設置。
- 1925年(大正14年)
- 1926年(大正15年)12月1日 - 独立校となり、大阪市十三尋常小学校と改称。
- 1936年(昭和11年)11月1日 - 大阪市木川尋常小学校を分離。
- 1939年(昭和14年)1月6日 - 南側木造校舎が改築される。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、大阪市十三国民学校と改称。
- 1944年(昭和19年)9月 - 戦局の悪化により、豊能郡中豊島村へ学童疎開する。
- 1945年(昭和20年)10月 - 終戦に伴い、疎開した児童が十三国民学校へ帰阪。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、大阪市立十三小学校と改称。
- 1956年(昭和31年) - 創立30周年を機に新しい校歌ができる。
- 1960年(昭和35年)3月8日 - 鉄筋3階建ての校舎ができる(旧校舎)。
- 1976年(昭和51年)1月31日 - 鉄筋3階建ての校舎ができる。
- 1979年(昭和54年)5月19日 - 鉄筋3階建ての講堂ができる。
- 1994年(平成6年)6月29日 - 新しいプールができる。
- 1997年(平成9年)2月14日 - パソコン教室ができる。
- 2006年(平成18年)11月25日 - 創立80周年記念式典挙行。
- 2008年(平成20年)7月21日 - 校舎建て替え工事開始。
- 2009年(平成21年)12月25日 - 新校舎が完成。
- 2010年(平成22年)
通学区域
[編集]- 大阪市淀川区 十三東1丁目~5丁目。
- 卒業生は大阪市立十三中学校に進学する。