大阪市長居障害者スポーツセンター
長居障がい者スポーツセンター | |
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施設情報 | |
旧名称 |
大阪市身体障害者スポーツセンター 大阪市長居障害者スポーツセンター |
正式名称 | 大阪市長居障がい者スポーツセンター |
用途 | 障害者スポーツ |
施工 | フジタ工業[1] |
建築主 |
大阪市 大阪身体障害者スポーツ振興会[1] |
管理運営 | 大阪市障害者福祉・スポーツ協会[2] |
構造形式 | 鉄骨構造及び鉄骨鉄筋コンクリート構造[2] |
敷地面積 | 13,274 m2[2] |
延床面積 | 8,504 m2[2] |
階数 | 2階[2] |
竣工 | 1974年3月[1] |
所在地 |
〒554-0041 大阪府大阪市東住吉区長居公園1-32 |
位置 | 北緯34度36分45.5秒 東経135度30分53秒 / 北緯34.612639度 東経135.51472度座標: 北緯34度36分45.5秒 東経135度30分53秒 / 北緯34.612639度 東経135.51472度 |
大阪市長居障がい者スポーツセンター(おおさかしながいしょうがいしゃスポーツセンター)とは、大阪市東住吉区の長居公園内に所在する障害者のためのスポーツ施設である。大阪市により、1974年(昭和49年)5月に障害者のためのスポーツセンターとして日本で初めて設立された[3]。大阪市障害者福祉・スポーツ協会が指定管理者として管理運営をしている[2][4]。
歴史
[編集]1960年代当時、大阪市における障害者施策は高齢者施策に比べ、立ち遅れていたが、1964年(昭和39年)、東京オリンピック直後に開催された東京パラリンピックを契機として、より積極的な障害者施策として、スポーツセンターの建設が話題となり始めていた[5]。その影響で1970年(昭和45年)、大阪市立大学医学部の小谷勉教授を委員長とする建設調査委員会が発足し、1971年(昭和46年)度より用地の決定や基本設計の依頼、建設資金の調達にかかり、1974年(昭和49年)5月2日、障害者のためのスポーツセンターとして全国に先駆けて開設された[5]。1981年(昭和56年)には重度障害者(児)用の体育訓練施設を増設[5]。
センターの開設を契機として、日本全国で類似の施設が建設され、障害者のスポーツ大会も年々多く開催される様になり、障害者スポーツの普及が進んだことにより、施設の利用者数が年間24万人を越える状況になってきた事から、1997年(平成9年)10月に新たな障害者スポーツセンターとして舞洲障害者スポーツセンター(アミティ舞洲)が開設[6]。
2012年(平成24年)の「大阪市市政改革プラン」では施設の老朽化などを理由に廃止が検討された[7][8]が、多数の利用者や関係者、市議などから反対の声があがり、結果次の大規模更新の時期までは継続し、後に建て替え[8]や市外利用者の負担を検討することとなった[注釈 1][7][9]。
施設概要
[編集]設備
[編集]施設内の主な設備は以下の通り[2]。
- 温水プール
- 卓球室
- ボウリング室
- 体育室
- 小体育室
- トレーニング室
- 遊戯室
- 屋外プール
- 研修室(2室)
- 会議室
- ラウンジ
- 屋外運動場
イギリスのストーク・マンデヴィル・ホスピタルの付属施設であるストーク・マンデヴィル・スタジアムを範としている[5]。
1階中央に大きいホールをとり、そこを中心にプールや体育室、トレーニング室などの各運動室を配置し、利用者が迷う事が無く、目的地に行ける様にしている。2階へは1/12のスロープか円形エレベーターで行く事が出来る。エレベーターはカゴ内で方向転換して正面を向いて乗降が出来るようにしている。また、密室の不安を和らげる為、エレベーターの一部をガラス張りにしている[5]。
開設の翌年である1975年(昭和50年)にはBCS賞(建築業協会賞)を受賞[1][5]。
使用方法
[編集]使用当日に利用者カード(申込書により交付)または各種障害者手帳(身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳)を提示。施設使用料は大阪市内および大阪府下に住所を有する障害者および介護者1名は無料[10]。
開設日・時間
[編集]プール室・ボウリング室以外は12:15~13:00は休室。
- 平日・土曜日:9:00~21:00
- 日曜・祝日:9:00~18:00
休館日:毎週水曜日、第3木曜日、12月29日~翌年1月3日。
その他
[編集]当スポーツセンターの開設当初は周辺に段差があり、障害のある人をお断りする店もあったが、障害者の利用者が増えるにつれ、障害者が利用出来る様に工夫をする店が増えた。店の定休日をセンターに合わせて水曜日にしている店もあるという[11]。
電動車椅子サッカーは当センターが発祥。当センターで指導員をしていた人物が床のボールを電動車いすで片づけしている障害者を見てひらめき、同じく電動車いすを使うカナダの「パワーサッカー」を参考に1982年(昭和57年)に考案された[3]。当センターを拠点とする「大阪ローリングタートル」は日本で初めて結成された電動車椅子サッカーのチーム[12]。
当センターの利用者が増えるにつれ、パラリンピックなど、世界的な大会に出場する選手も現れるようになった。代表的な選手として1980年アーネムパラリンピックアーチェリー金メダリストの大前千代子がいる[13]。
アクセス
[編集]注釈
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d BCS賞受賞作品 日本建設業連合会 2015年8月21日閲覧
- ^ a b c d e f g 大阪市障害者福祉・スポーツ協会 2012, p. 26.
- ^ a b (新風景を歩く:30)長居公園 障害者スポーツ、感動発信【大阪】.『朝日新聞』.2006年04月08日付夕刊、1面
- ^ スポーツ21世紀:新しい波/203 指定管理者制度/9止 障害者スポーツ.『毎日新聞』.2006年06月17日付朝刊、18面
- ^ a b c d e f 大阪市障害者福祉・スポーツ協会 2012, p. 25.
- ^ 大阪市障害者福祉・スポーツ協会 2012, p. 58.
- ^ a b “「大阪市だけで運営しなければいけないのか」 橋下市長、周辺市町村に負担求める意向 長居障害者スポーツセンターの運営めぐり”. 産経WEST. (2014年10月12日) 2015年8月21日閲覧。
- ^ a b 橋下流メリハリに明暗 市政改革プラン、大阪市素案 反発受け一部「復活」【大阪】.『朝日新聞』.2012年05月11日付夕刊、13面
- ^ 「市政改革プラン」アクションプラン編別冊一部抜粋(音声読み上げ対応) 2/3 大阪市ホームページ. (2013年5月21日) 2015年8月22日閲覧
- ^ 施設使用料 大阪市長居障がい者スポーツセンター 2015年8月21日閲覧
- ^ ニュースUP:核心インタビュー 脱「障害者のためのスポーツ」.『毎日新聞(大阪)』.2008年01月09日付朝刊、26面
- ^ (きらっと)大阪ローリングタートル 電動車いすサッカー /大阪.『毎日新聞(大阪)』.2007年05月15日付朝刊、25面
- ^ 大阪市長居のセンター30周年 障害者にスポーツの喜び 国内初の専用施設.『読売新聞(大阪)』.2004年05月04日付朝刊、29面
参考文献
[編集]- 大阪市障害者福祉・スポーツ協会『平成23年度 大阪市障害者スポーツセンター・スポーツ振興部 年報』大阪市障害者福祉・スポーツ協会、大阪市障害者スポーツセンター・スポーツ振興部、2012年8月31日。