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大雄院 (京都市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大雄院(だいおういん)
所在地 〒616-8035 京都府京都市右京区花園妙心寺町52
宗派 臨済宗妙心寺派
寺格 妙心寺塔頭
創建年 慶長八年(1603年)
公式サイト https://www.daiouin.com/
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大雄院(だいおういん)は、京都府京都市右京区に位置する臨済宗大本山妙心寺の寺院である。

概要

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慶長8年1603年)、尾張藩家老であった石河光忠が父・石河紀伊守光元の菩提を弔うために創建し、慧南玄譲を開祖に迎えた。以降、尾張石河家の香華所として歴史を紡いでいる。[1]

歴史

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創建当時は、豊臣政権から徳川政権への過渡期であり、激動の時代背景を持つ。光忠の母であるお亀の方は徳川家康の後妻となり、家康の子を産むなど、石河家と徳川家の深い関係性が形成された。この縁により、現在の大雄院の建築はお亀の方が徳川家康から賜った伏見の屋敷を移築したものである。

建築と文化財

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大雄院の建築は、京都府指定・登録文化財に指定されており、以下の建造物が特に注目される。

客殿
享保11年(1726年)再建。大雄院の主要な建築物で、現在は方丈として使用されている。
書院
享保11年(1726年)再建。客殿と共に大雄院の歴史的価値を物語る重要な建物。
庫裏
江戸時代末期に改造されて以来の形を保つ。江戸末期の建築様式を伝える貴重な存在。
表門
創建当初(慶長8年・1603年)の姿をそのまま残し、400年以上の歴史を刻む。大雄院の象徴的な建築物。

また、客殿(方丈)の襖絵は、江戸時代末から明治初期に活躍した蒔絵師・画家の柴田是真の作品であり、稚松図や滝猿図など多くの肉筆画が現存する。

柴田是真と障壁画

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柴田是真は、日本画家としてだけでなく、漆工芸でも天才的な技を持つ人物であり、国内外で高く評価される。大雄院の客殿には、天保元年(1830年)に是真が描いた障壁画72面が残されている。これらは、京都での修業期間中に手がけた作品であり、若き日の是真(当時は「令哉」の号を使用)を知る上で重要な文化財である。

襖絵プロジェクト「千種の花の丸襖絵」

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明治宮殿に存在した柴田是真による「花の丸大天井」は戦火で失われたが、東京藝術大学美術館に保管されている下絵をもとに、2017年に大雄院で襖絵として復活させるプロジェクトが発足した。このプロジェクトでは、日本唯一の「宮絵師」安川如風が制作を担当し、2020年秋に43種の草花を描いた襖18面が完成した。

公開とアクセス

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大雄院は通常非公開であり、拝観は「春秋の特別拝観」または「特別予約拝観」のみ可能である。御朱印は公開期間中の授与となり、期間限定の御朱印は予約制で対応している。

関連項目

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外部リンク

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  1. ^ |大雄院について|”. 大雄院. 2024年12月25日閲覧。