大館市立第一中学校
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大館市立第一中学校 | |
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北緯40度16分03秒 東経140度32分53秒 / 北緯40.267494度 東経140.548156度座標: 北緯40度16分03秒 東経140度32分53秒 / 北緯40.267494度 東経140.548156度 | |
過去の名称 |
大館町立大館中学校 大館町釈迦内村組合立大館中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大館市 |
併合学校 | 上川沿中学校 |
校訓 | 英知・友愛・忍耐 |
設立年月日 | 1947年4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | C105220437513 |
所在地 | 〒017-0866 |
秋田県大館市北神明町10番1号 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大館市立第一中学校(おおだてしりつ だいいちちゅうがっこう)は秋田県大館市にある市立中学校。現在の校舎は1980年(昭和55年)に完成した。通称は一中(いっちゅう)。
概要
[編集]学区は大館市立桂城小学校、大館市立城南小学校、大館市立城西小学校、大館市立上川沿小学校の4小学校の校区と広大である。学区は大館市中心部の旧市街地を含み、秋田県立大館鳳鳴高等学校、秋田県立大館桂高等学校、秋田県立大館高等学校や市役所、裁判所、大館警察署などの公的機関が集中しており、商店街、住宅街、飲食街、農業、工業などの多種多様な職種によって構成されている。
このような地域の状況から保護者の職業も多岐にわたっているが、教育に関する関心はきわめて高く、高校への進学希望は98% に及んでいる。一時は1,500人を超える生徒数であったが、2006年度はその半分以下の600人弱を割る状況となっている。また、秋田県北部で生徒数が一番多い。
所在地
[編集]校訓
[編集]沿革
[編集]- 1947年(昭和22年)5月1日 - 北秋田郡大館町に大館中学校として開校する。[1]
- 1948年(昭和23年) - 長谷川善四郎がデザインする校章「雪の結晶」を制定。
- 1949年(昭和24年)1月 - 現在地に第一校舎が完成する。
- 1951年(昭和26年)
- 1955年(昭和30年) - 正門の完成。
- 1960年(昭和35年) - 流感のため1週間臨時休校になる。
- 1965年(昭和40年) - 台風で校舎の一部が吹き飛ばされる。
- 1969年(昭和44年) - 画家山下清が学校に来校。
- 1973年(昭和48年) - 北校舎の階段が崩落。
- 1978年(昭和53年) - 新校舎が完成。
- 1980年(昭和55年) - 上川沿中学校と統合。
- 1983年(昭和58年) - 校訓「英知・友愛・忍耐」が制定。
- 1987年(昭和62年) - 校舎前庭のアスファルトの舗装がされる。
- 1989年(平成元年) - 第1体育館のサーモンのレリーフが完成。
- 1991年(平成3年) - 台風19号で第2体育館の屋根が吹き飛ばされる。
- 1997年(平成9年) - 創立50周年の記念式典決行。
- 2011年 (平成23年) - 武道場完成
一中五大祭
[編集]以下の5つの学校行事の「五大祭」とよぶ。[1]
委員会活動
[編集]- 風紀委員会
- 学習委員会
- 集会委員会
- 美化委員会
- 図書委員会
- 校外生活委員会
- 体育委員会
- PR委員会
- 保健委員会
- 給食委員会
- ボランティア委員会
- 選挙管理委員会
- 雪の結晶委員会
- 生徒会執行部
部活動
[編集]周辺
[編集]著名出身者
[編集]- 藤盛由果 (アナウンサー)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- 虎兎の会(昭和40年度卒業生による同期会)
- 一中 - 大館市教育委員会