名細村
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(天沼新田から転送)
なぐわしむら 名細村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 名細村、霞ヶ関村、山田村、古谷村、南古谷村、大東村、福原村、高階村、芳野村 → 川越市 |
現在の自治体 | 川越市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 入間郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
5,546人 (1950年) |
隣接自治体 |
埼玉県:川越市、 入間郡鶴ヶ島村、坂戸町、霞ヶ関村、山田村、 比企郡川島村 |
名細村役場 | |
所在地 | 埼玉県入間郡名細村大字小堤 |
座標 | 北緯35度56分23秒 東経139度26分07秒 / 北緯35.93969度 東経139.43536度座標: 北緯35度56分23秒 東経139度26分07秒 / 北緯35.93969度 東経139.43536度 |
ウィキプロジェクト |
地理
[編集]隣接していた自治体
[編集]歴史
[編集]村名は、この地域・三芳野を賞賛した柿本人麻呂の古歌「
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、鯨井村、上戸村、小堤村、下小坂村、平塚村、平塚新田、吉田村、天沼新田、下広谷村の9か村が合併、高麗郡名細村が成立。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 高麗郡が入間郡に編入、入間郡名細村となる。
- 1916年(大正5年)10月27日 - 東上鉄道(現・東武東上本線)が坂戸町駅(現・坂戸駅)まで開通、当村内を通過。当時は当村内に駅は開設されず。
- 1932年(昭和7年)4月10日 - 鶴ヶ島村(現在の鶴ヶ島市)との境あたりに鶴ヶ島駅を設置。
- 1951年(昭和26年) - 旧陸軍坂戸飛行場跡地(鶴ヶ島村大字大塚野新田・大字五味ヶ谷・勝呂村大字戸宮のそれぞれの一部を編入)に大字竹野が成立し、10大字となる。
- 名細村大字下広谷の一部は鶴ヶ島村に編入。
- 1952年(昭和27年) - 鶴ヶ島村の大字上広谷・大字藤金のそれぞれ一部を編入。
- 1955年(昭和30年)
- 3月24日 - 埼玉県名細村米軍機墜落事故
- 4月1日 - 川越市に編入され、消滅。
村域の変遷
[編集]1868年 以前 |
1889年 (明治22) 4月1日 |
1896年 (明治29) 3月29日 |
1951年 (昭和26) |
1952年 (昭和27) |
1955年 (昭和30) 4月1日 |
現在 | ||
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下広谷村 | 高麗郡 名細村 |
入間郡 に移行 |
名細村 | 鶴ヶ島村 | 鶴ヶ島村 | 鶴ヶ島村 | 鶴ヶ島市 | |
名細村 | 名細村 | 川越市 に編入 |
川越市 | |||||
小堤村 | ||||||||
鯨井村 | ||||||||
上戸村 | ||||||||
下小坂村 | ||||||||
平塚村 | ||||||||
平塚新田 | ||||||||
吉田村 | ||||||||
天沼新田 | ||||||||
戸宮村 の一部 |
入間郡 勝呂村 |
勝呂村 | 名細村 に編入 | |||||
大塚野新田 の一部 |
高麗郡 鶴ヶ島村 |
入間郡 に移行 |
鶴ヶ島村 | |||||
五味ヶ谷村 の一部 | ||||||||
上広谷村 の一部 |
鶴ヶ島村 | 名細村 に編入 | ||||||
藤金村 の一部 |
地域
[編集]- 鯨井(くじらい) 東洋大学川越キャンパスの所在地(実際は鯨井、小堤、吉田、天沼新田にまたがる所にある)。鯨井1900番台は飛び地で、現在は的場新町、伊勢原となっている。
- 上戸(うわど) 一部は現在の上戸新町。
- 小堤(こづつみ)
- 下小坂(しもおさか)
- 平塚(ひらつか)
- 平塚新田(ひらつかしんでん)
- 吉田(よしだ) 一部は現在の吉田新町、伊勢原町(吉田900番台の一部)、霞ヶ関北。
- 天沼新田(あまぬましんでん)
- 下広谷(しもひろや)
- 竹野(たけの) 富士見工業団地が現在ある所。
交通
[編集]鉄道
[編集]参考資料
[編集]- 角川日本地名大辞典
脚注
[編集]- ^ 角川日本地名大辞典11・埼玉県 「名細村」の項。
- ^ 埼玉県地名辞典(韮塚一三郎・著 関東図書)「名細村」の項。
- ^ 名細小学校/ようこそ川越市