太田淳昭
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太田 淳昭(おおた じゅんしょう[1][2]、諡・浄徳院[1]、本名・太田淳照(あつてる)[3]、旧姓・井上[3]、幼名・淳麿[1]、1904年2月15日[2][3][4]-1985年8月4日[2][3])は、日本の宗教家、浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派総長、全日本仏教会理事長、日本宗教連盟理事長を歴任。光接寺(阿久根市)住職[4]。
鹿児島県谷山町和田(現・鹿児島市内)の妙行寺の生まれ(次男)[1]。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を経て[4][3]、第七高等学校造士館 (旧制)文科を1924年3月に卒業[3]。1928年東京帝国大学法学部政治学科卒業[1]。1929年鹿児島県阿久根町の光接寺の養子となる[1]。1950年から1974年まで宗会議員(7期)[1]。浄土真宗本願寺派内局総務(1952年~1953年)[2][1]、築地別院輪番(1956年~1960年)[2][1]を経て、1962年~1965年と1969年~1974年に本願寺派総長[2][1]。その他、全日本仏教会事務総長、同理事長、日本宗教連盟理事長、文部省宗教法人審議会委員を歴任[1]。