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和田 (鹿児島市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
和田
町丁
地図北緯31度30分47秒 東経130度30分48秒 / 北緯31.512972度 東経130.513444度 / 31.512972; 130.513444座標: 北緯31度30分47秒 東経130度30分48秒 / 北緯31.512972度 東経130.513444度 / 31.512972; 130.513444
日本の旗 日本
都道府県 鹿児島県の旗 鹿児島県
市町村 鹿児島市
地域 谷山地域
地区 谷山地区
人口情報2020年(令和2年)4月1日現在)
 人口 6,816 人
 世帯数 3,164 世帯
郵便番号 891-0143 ウィキデータを編集
市外局番 099
ナンバープレート 鹿児島
運輸局住所コード[2] 46500-1523
ウィキポータル 日本の町・字
鹿児島県の旗 ウィキポータル 鹿児島県
ウィキプロジェクト 日本の町・字
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和田(わだ[3])は、鹿児島県鹿児島市町丁[4]。旧薩摩国谿山郡谷山郷和田村谿山郡谷山村大字和田鹿児島郡谷山町大字和田谷山市和田町鹿児島市和田町郵便番号は891-0143[5]。人口は6,926人、世帯数は3,164世帯(2020年4月1日現在)[6]。和田一丁目から和田三丁目までがあり、和田一丁目から和田三丁目までの全域で住居表示を実施している[7]

地理

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鹿児島市南部(谷山地区)、和田川下流域に位置している。町域の北方には谷山中央及び慈眼寺町、南方には坂之上、西方には下福元町、東方には南栄がそれぞれ隣接している。

町域を南北に国道225号国道226号と重複)、東西に鹿児島県道219号玉取迫鹿児島港線が通っている。教育施設は中央部(和田川)に鹿児島市立和田小学校、南部(和田坂)に鹿児島市立和田中学校が所在している。

河川

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  • 木之下川
  • 和田川

町名の由来

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「和田」という地名は海の神であるワタツミ(綿津見神)の名前の一部である綿(わた)が訛り、和田と呼ばれるようになったことに由来する[8]

歴史

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先史時代

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和田からは弥生時代のものとみられる「和田玉林遺跡」が発見されており[9]弥生土器石器が出土しているが、1967年(昭和42年)に谷山市によって発刊された「谷山市史」によれば和田玉林遺跡自体は未調査であり全体像は不明である[10]

和田の成立と中世

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三国名勝図会に掲載されている伊佐智佐神社の挿絵

和田という地名は室町時代より見え、薩摩国谿山郡のうちであった[4]。中世には和田村や和田名として見える[11]応永7年(1400年)の島津元久書下に「薩摩国谷山郡和田村并佐屋脇半分事」と書かれ、伊作久義に宛がわれた[12]。和田には和田城(別名:玉林城、神前城)があり、山田諸三郎によって築かれた。文安5年(1448年)の「伊佐智佐権現坪付」によれば、20日に伊佐智佐神社領となっったとし、「霜月廿日祭田」が、「八月ひかんの御祭」の田地とされている[11][12]

戦国時代になり、玉林城は島津実久が谷山を領し宮崎へと視野を向けた際に、家臣らに士家を守らせた。のちに島津貴久が留守を申し付かったとされる[13][14]

近世の和田村

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江戸時代には谿山郡谷山郷(外城)のうちであり[4]、村高(石高)は「天保郷帳」では538石余[4]、「郡村高辻帳」では591石余[13]、「三州御治世要覧」では569石余[13]、「旧高旧領取調帳」では538石余であった[4]。農村であった和田村には庄屋が置かれ、上福元村の麓に置かれていた地頭仮屋の管轄下となっていた[15]。村域内を山川路(別名:谷山街道)が通っており[12][16]、和田村の南部海岸には七ツ島と呼ばれる小島が点在していた[13]

万延元年(1860年)には和田浜で大火が発生し、住居97戸と非住居43戸が焼失し罹災者数が494人にのぼった[17]

町村制施行以後の和田

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1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、それまでの谷山郷にあたる下福元村、上福元村、松崎町、塩屋村、和田村、平川村、中村、山田村、五ケ別府村の区域より鹿児島郡谷山村が成立した。これに伴ってそれまでの和田村は谷山村の大字和田」となった[4]1897年(明治30年)4月1日に「 鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置法律」(明治29年法律第55号)が施行されたのに伴い谿山郡鹿児島郡に編入され、谿山郡に属していた谷山村は鹿児島郡となった。1924年(大正13年)9月1日には谷山村が町制施行したことにより、谷山町の大字となった[4]1958年(昭和33年)に谷山町が単独市制施行し谷山市となり[18]、同時に大字をに改め、それまでの大字和田は谷山市の町「和田町」となった[4]

1967年(昭和42年)4月29日には谷山市が鹿児島市と対等合併し、鹿児島市となった[19]。それに伴って鹿児島市の町「和田町」となった[4]

1996年平成8年)2月13日に和田町・谷山塩屋町の一部にあたる谷山第一地区において住居表示を実施されるのに伴い[20]、町名整理が行われ、和田町・谷山塩屋町の各一部より「和田一丁目」、和田町の一部より「和田二丁目」が設置された[21][22]。同年11月18日には慈眼寺地区において住居表示が実施されるのに合わせて[20]、和田町及び上福元町の一部が慈眼寺町に編入した[23]2008年(平成20年)2月25日には和田町及び下福元町の一部にあたる坂之上地区において住居表示が実施され[24]、和田町及び下福元町の一部より坂之上一丁目が新設された[25]

2013年平成25年)11月11日には和田地区において住居表示が実施され[24]、和田町の全域及び谷山塩屋町の全域より「和田三丁目」が設置された[26]。それに伴って和田町及び谷山塩屋町は廃止された[26]

町域の変遷

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実施後 実施年 実施前
和田一丁目(新設) 1996年平成8年) 和田町(一部)
谷山塩屋町(一部)
和田二丁目(新設) 和田町(一部)
慈眼寺町(編入) 和田町(一部)
上福元町(一部)
坂之上一丁目(新設) 2008年平成20年) 和田町(一部)
下福元町(一部)
和田三丁目(新設) 2013年平成25年) 和田町(全域)
谷山塩屋町(全域)

人口

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町丁別

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世帯数・人口[6]
世帯数 人口
和田一丁目 1,095 2,449
和田二丁目 911 2,244
和田三丁目 1,158 2,233

人口の遷移

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以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[27]
7,940
2000年(平成12年)[28]
8,500
2005年(平成17年)[29]
8,486
2010年(平成22年)[30]
6,767
2015年(平成27年)[31]
6,694

施設

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鹿児島市立和田小学校
伊佐智佐神社

公共

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教育

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郵便局

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寺社

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小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[38]

川路人道橋(和田小学校前通線)が、小・中学校を繋ぐ橋である。

町丁 番・番地 小学校 中学校
和田一丁目 全域 鹿児島市立和田小学校 鹿児島市立和田中学校
和田二丁目 全域
和田三丁目 全域

交通

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和田トンネル(鹿児島県道219号玉取迫鹿児島港線)。トンネル上を通るのは国道225号である。

道路

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一般国道
一般県道

出身人物

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脚注

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  1. ^ 日本 町字マスター データセット”. デジタル庁 (2022年3月31日). 2022年4月29日閲覧。
  2. ^ 自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2021年4月26日閲覧。
  3. ^ 鹿児島市の町名”. 鹿児島市. 2020年10月25日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 668-669.
  5. ^ 鹿児島県鹿児島市和田の郵便番号”. 日本郵便. 2021年3月21日閲覧。
  6. ^ a b 年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。[リンク切れ]
  7. ^ 住居表示実施区域町名一覧表”. 鹿児島市 (2020年2月3日). 2020年6月28日閲覧。[リンク切れ]
  8. ^ 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 1137.
  9. ^ 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 79.
  10. ^ 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 80.
  11. ^ a b 芳即正 & 五味克夫 1998, p. 188.
  12. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 668.
  13. ^ a b c d 芳即正 & 五味克夫 1998, p. 189.
  14. ^ 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 199.
  15. ^ 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 370.
  16. ^ 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 622.
  17. ^ 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 433.
  18. ^ 町を市とする処分(昭和33年総理府告示第332号、昭和33年9月30日付『官報』第9532号、 原文
  19. ^ 市の廃置分合(昭和41年自治省告示第155号、『官報』昭和41年10月28日付第11963号、 原文
  20. ^ a b 南日本新聞 2015, p. 828.
  21. ^ 平成8年鹿児島県告示第222号(町の区域の設定及び変更、平成8年2月9日付鹿児島県公報第1033号所収)
  22. ^ かごしま市民のひろば1996年 (平成8年02月号) 第345号”. 鹿児島市. 2012年4月16日閲覧。
  23. ^ 平成8年鹿児島県告示第1517号(町の区域の設定及び変更、平成8年10月28日付鹿児島県公報第1136号の2所収)
  24. ^ a b 南日本新聞 2015, p. 829.
  25. ^ 坂之上地区住居表示実施”. 鹿児島市. 2011年12月27日閲覧。
  26. ^ a b かごしま市民のひろば(2013年(平成25年)11月号)558号”. 鹿児島市. p. 3面. 2013年11月1日閲覧。
  27. ^ 国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
  28. ^ 国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
  29. ^ 国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
  30. ^ 国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
  31. ^ 国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
  32. ^ 和田福祉館”. 鹿児島市. 2021年3月21日閲覧。
  33. ^ 南日本新聞 2015, p. 951.
  34. ^ 南日本新聞 2015, p. 950.
  35. ^ 南日本新聞 2015, p. 942.
  36. ^ 和田簡易郵便局(鹿児島県)”. 日本郵便. 2021年3月21日閲覧。
  37. ^ 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 425.
  38. ^ 小・中学校の校区(学区)表”. 鹿児島市役所. 2020年9月26日閲覧。
  39. ^ 『真宗人名辞典』(法藏館、1999年)
  40. ^ 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 1197.

参考文献

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  • 谷山市誌編纂委員会『谷山市誌谷山市、鹿児島県、1967年3月30日http://www.city.kagoshima.lg.jp/kikakuzaisei/kikaku/seisaku-s/shise/shokai/shishi/taniyama.html , Wikidata Q111435390
  • 南日本新聞『鹿児島市史Ⅳ』 4巻、鹿児島市、1990年3月15日http://www.city.kagoshima.lg.jp/kikakuzaisei/kikaku/seisaku-s/shise/shokai/shishi/kagoshima.html , Wikidata Q111372875
  • 南日本新聞『鹿児島市史Ⅴ』 5巻、鹿児島市、2015年3月27日http://www.city.kagoshima.lg.jp/kikakuzaisei/kikaku/seisaku-s/shise/shokai/kagoshima-05.html , Wikidata Q111372912
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会「角川日本地名大辞典 46 鹿児島県」『角川日本地名大辞典』第46巻、角川書店、日本、1983年3月1日。ISBN 978-4-04-001460-9 , Wikidata Q111291392
  • 芳即正、五味克夫『日本歴史地名大系47巻 鹿児島県の地名』平凡社、1998年。ISBN 978-4582910544 

関連項目

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