下田町 (鹿児島市)
下田町 | |
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町丁 | |
北緯31度38分34秒 東経130度33分02秒 / 北緯31.64272746度 東経130.55067804度座標: 北緯31度38分34秒 東経130度33分02秒 / 北緯31.64272746度 東経130.55067804度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 吉野地域 |
人口情報(2020年(令和2年)10月1日現在) | |
人口 | 2,412 人 |
世帯数 | 890 世帯 |
郵便番号 | 892-0873 |
市外局番 | 099 |
ナンバープレート | 鹿児島 |
町字ID[1] | 0077000 |
運輸局住所コード[2] | 46500-0560 |
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下田町(しもたちょう[3])は、鹿児島県鹿児島市の町[4]。旧薩摩国鹿児島郡鹿児島近在下田村、鹿児島郡吉野村大字下田。郵便番号は892-0873[5]。人口は2,412人、世帯数は890世帯(2020年10月1日現在)[6]。
町域内には世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つであり、国指定史跡である「関吉の疎水溝」がある[7]。関吉の疎水溝は江戸時代末期に薩摩藩主島津斉彬によって進められた集成館事業において動力源として利用される水を稲荷川から仙厳園まで引き込むために建設され、現在でも農業用水として一部が利用されている[8]。
地理
[編集]鹿児島市の北部、稲荷川中流域に位置する[9]。町域の北方に川上町、南方に坂元町・伊敷町、西方に西伊敷・伊敷台・下伊敷町・川上町、東方に吉野町・吉野一丁目が接している。稲荷川流域に盆地が広がる[9]。
町域の中央を南北に鹿児島県道25号鹿児島蒲生線が通り、南部の下田三文字から鹿児島県道209号帯迫下田線が東方向に分岐している。また町域の西部を南北に九州自動車道が通っている。
河川
[編集]- 稲荷川
歴史
[編集]下田の成立
[編集]下田という地名は南北朝時代より見え、薩摩国鹿児島郡下田村であった[4]。「山田氏文書」に収録されている正平13年(1358年)の島津氏久安堵状によれば、島津氏久が山田諸三郎忠経に鹿児島郡内上伊敷村(現在の伊敷・伊敷町)及び下田村の地頭得分3分の2を安堵している[10][11]。
近世の下田
[編集]江戸時代には薩摩国鹿児島郡鹿児島近在のうちであった[4]。鹿児島近在のうちでは遠名に区分されていた[11]。村高は「天保郷帳」においては282石余[4]、「郡村高辻帳」では282石余[10]、「三州御治世要覧」では510石余であった[10]。
1870年(明治3年)に坂元村(現在の坂元町)に編入されたが、再び1881年(明治14年)に坂元村から再び分村し鹿児島郡下田村となった[4][10]。1879年(明治12年)には下田に下高小学が開設されたが、1893年(明治26年)に大字川上の川上尋常高等小学校(現在の鹿児島市立川上小学校の前身)に統合された[12]。
町村制施行以後の下田
[編集]1889年(明治22年)4月1日に町村制が施行されたのに伴い、鹿児島郡鹿児島近在のうち吉野村、川上村、岡之原村、坂元村の区域より鹿児島郡吉野村が成立した[13]。それまでの下田村は吉野村の大字「下田」となった[4]。
1934年(昭和9年)8月1日には、吉野村が鹿児島郡西武田村及び中郡宇村と共に鹿児島市に編入された[14][15][16]。同日発行の鹿児島県公報に掲載された鹿児島県告示「 鹿兒島市内大字名廢止町名改稱竝ニ區域變更」により「下田ヲ廢止シ其ノ區域ヲ下田町(シモダテウ)ト」することが鹿児島県知事によって許可され、吉野村の大字下田を廃し、その区域を以て新たに鹿児島市の町「下田町」が設置された[17][4][18]。
2005年(平成17年)2月7日には明ヶ窪地区において住居表示が実施されることとなったのに伴い[19]、下田町及び下伊敷町の一部より伊敷台七丁目が設置された[20]。2015年(平成27年)2月2日には吉野地区(第1期)において住居表示が実施されるのに伴い[19]、下田町及び川上町、吉野町の各一部より吉野一丁目が新たに設置された[21][22]。
町域の変遷
[編集]変更後 | 変更年 | 変更前 |
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伊敷台七丁目(新設) | 2005年(平成17年) | 下田町(一部) |
下伊敷町(一部) | ||
吉野一丁目(新設) | 2015年(平成27年) | 下田町(一部) |
吉野町(一部) | ||
川上町(一部) |
人口
[編集]以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。
年 | 人口 |
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1995年(平成7年)[23] | 2,678
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2000年(平成12年)[24] | 2,564
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2005年(平成17年)[25] | 2,681
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2010年(平成22年)[26] | 2,697
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2015年(平成27年)[27] | 2,377
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2020年(令和2年)[6] | 2,412
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文化財
[編集]世界文化遺産
[編集]- 関吉の疎水溝(世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つ、国指定史跡)
施設
[編集]公共
[編集]- 下田公園
- 七窪町公民館
郵便局
[編集]- 鹿児島下田郵便局[30]
寺社
[編集]その他
[編集]- 七窪水源地(2007年認定土木学会選奨土木遺産[31])
- 南方新社本社[32]
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[33]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
下田町 | 川添 | 鹿児島市立大龍小学校 | 鹿児島市立清水中学校 |
七窪 | 鹿児島市立坂元小学校 | 鹿児島市立坂元中学校 | |
野呂迫 | 鹿児島市立吉野小学校 | 鹿児島市立吉野中学校 | |
その他 | 鹿児島市立川上小学校 |
交通
[編集]道路
[編集]脚注
[編集]- ^ “日本 町字マスター データセット”. デジタル庁 (2022年3月31日). 2022年4月29日閲覧。
- ^ “自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2021年4月26日閲覧。
- ^ “鹿児島市の町名”. 鹿児島市. 2020年7月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 342.
- ^ “鹿児島県鹿児島市下田町の郵便番号”. 日本郵便. 2021年5月16日閲覧。
- ^ a b “国勢調査 令和2年国勢調査小地域集計 (主な内容:基本単位区別,町丁・字別人口など)46:鹿児島県”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月10日閲覧。
- ^ a b 『南日本新聞』2015年7月6日付 1面(集成館 世界遺産)
- ^ “集成館事業の動力源「関吉の疎水溝」を紹介します”. 鹿児島県. 2021年5月16日閲覧。
- ^ a b c d 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 685.
- ^ a b c d 芳即正 & 五味克夫 1998, p. 180.
- ^ a b 鹿児島市史編さん委員会 1969, p. 403.
- ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 879.
- ^ 有田忠雄、河口貞徳、村田凞、稲葉行雄、村野守治、四本健光、紀野健一郎 1955, p. 487.
- ^ 中郡宇村西武田村及吉野村ヲ廢シ鹿兒島市ヘ編入(昭和9年鹿児島県告示第327号、昭和9年7月27日付鹿児島県公報号外所収、 原文)
- ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 783.
- ^ 有田忠雄、河口貞徳、村田凞、稲葉行雄、村野守治、四本健光、紀野健一郎 1955, p. 600.
- ^ 有田忠雄、河口貞徳、村田凞、稲葉行雄、村野守治、四本健光、紀野健一郎 1955, p. 601.
- ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 878.
- ^ a b 南日本新聞 2015, p. 829.
- ^ “かごしま市民のひろば(平成17年2月号)”. 鹿児島市. 2021年3月6日閲覧。
- ^ “かごしま市民のひろば(平成27年1月号)”. p. 6 (2015年2月1日). 2021年5月16日閲覧。
- ^ “80 住居表示実施 平成27年2月2日 川上町、下田町、吉野町→吉野1,2丁目”. 鹿児島市. 2015年2月2日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ 南日本新聞 2015, p. 1068.
- ^ “旧集成館機械工場、旧集成館附寺山炭窯跡 関吉の疎水溝”. 鹿児島県. 2021年5月16日閲覧。
- ^ “鹿児島下田郵便局(鹿児島県)”. 日本郵便. 2021年5月16日閲覧。
- ^ 南日本新聞 2015, p. 793.
- ^ 南日本新聞 2015, p. 1050.
- ^ “小・中学校の校区(学区)表”. 鹿児島市役所. 2020年9月26日閲覧。
参考文献
[編集]- 鹿児島市史編さん委員会『鹿児島市史Ⅰ』 1巻、鹿児島市、1969年2月28日 。, Wikidata Q111372666
- 鹿児島市史編さん委員会『鹿児島市史Ⅱ』 2巻、鹿児島市、1970年3月25日 。, Wikidata Q111372706
- 南日本新聞『鹿児島市史Ⅴ』 5巻、鹿児島市、2015年3月27日 。, Wikidata Q111372912
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会「角川日本地名大辞典 46 鹿児島県」『角川日本地名大辞典』第46巻、角川書店、日本、1983年3月1日。ISBN 978-4-04-001460-9。, Wikidata Q111291392
- 芳即正、五味克夫『日本歴史地名大系47巻 鹿児島県の地名』平凡社、1998年。ISBN 978-4582910544。
- 有田忠雄、河口貞徳、村田凞、稲葉行雄、村野守治、四本健光、紀野健一郎『鹿児島のおいたち』鹿児島市、1955年。
関連項目
[編集]西伊敷七丁目 | 川上町 | 吉野一丁目 | ||
西伊敷七丁目・西伊敷六丁目・西伊敷五丁目・伊敷町 | 吉野一丁目・吉野町・坂元町 | |||
下田町 | ||||
下伊敷町 | 伊敷台七丁目・下伊敷町・坂元町 | 坂元町 |