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永吉 (鹿児島市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
永吉
町丁
地図北緯31度36分09秒 東経130度32分03秒 / 北緯31.602556度 東経130.534167度 / 31.602556; 130.534167座標: 北緯31度36分09秒 東経130度32分03秒 / 北緯31.602556度 東経130.534167度 / 31.602556; 130.534167
日本の旗 日本
都道府県 鹿児島県の旗 鹿児島県
市町村 鹿児島市
地域 中央地域
地区 城西地区
人口情報2020年(令和2年)4月1日現在)
 人口 4,802 人
 世帯数 2,362 世帯
郵便番号 890-0023 ウィキデータを編集
市外局番 099
ナンバープレート 鹿児島
町字ID[1] 0122001(一丁目)
0122002(二丁目)
0122003(三丁目)
運輸局住所コード[2] 46500-1547
ウィキポータル 日本の町・字
鹿児島県の旗 ウィキポータル 鹿児島県
ウィキプロジェクト 日本の町・字
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永吉(ながよし[3])は、鹿児島県鹿児島市町丁[4]。旧薩摩国鹿児島郡鹿児島近在永吉村鹿児島郡伊敷村大字永吉鹿児島市永吉町郵便番号は890-0023[5]。人口は4,802人、世帯数は2,362世帯(2020年4月1日現在)[6]。永吉一丁目から永吉三丁目までがあり、永吉一丁目から永吉三丁目までの全域で住居表示を実施している[7]

地理

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鹿児島市の中部、甲突川中流域に位置している。町域の北方から西方にかけては小野、北西方には下伊敷、南方には原良、東方には草牟田、西方には明和がそれぞれ隣接している。

中央部には鹿児島修学館中学校・高等学校鹿児島アリーナが所在している。現在鹿児島アリーナがある場所には江戸時代より刑務所鹿児島刑務所)が設置されていたが、1985年12月16日に管理棟2階から出火し、1棟(1400平方メートル)が全焼する火災が起きた[8]。このことにより同年には姶良郡吉松町中津川(現在の姶良郡湧水町中津川)に移され、現在では正門が現存している[9]未決勾留者を収容する鹿児島拘置支所が置かれている。

平成5年8月豪雨(8.6水害)では町域の東端部を流れる甲突川が氾濫したことにより、永吉周辺の民家約1万世帯以上が浸水し大きな被害を受けた。その結果として、水害の2年前から施行されていた永吉地区の区画整理事業が進展した[10]

河川

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町名の由来

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「永吉」という地名は永遠に肥沃な土地であることを願って付けられたことに由来する[4][10]

歴史

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前史時代

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かつての永吉町付近を流れている甲突川の川底から弥生時代後期の土器などの遺物が出土しており、「甲突川川底遺跡」と呼ばれる[11]

永吉の成立と中世

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永吉という地名は「角川日本地名大辞典」によれば南北朝時代より見えるとされ、薩摩国鹿児島郡のうちであった[4]

「鹿児島市史」によれば鎌倉時代文保2年(1318年)には薩摩国地頭職に補されていた島津氏島津忠宗島津貞久に対して「かごしまのこほり 同なかよし」を譲り、鎌倉幕府の安堵を受けたとされている[12]延文元年(1356年)に島津貞久は本領及び元弘以降の所領を安堵され、その本領のうちに鹿児島郡永吉地頭が含まれている[13]貞治2年(1363年)に貞久は譲状を作成し、鹿児島郡永吉村は氏忠に譲られた[14]

薩藩旧記雑録によれば安土桃山時代天正20年(1592年)「薩隅日寺社領注文」には「永吉」という字が見え[15]、同年の豊臣秀吉によって七町六反余が上地され、三町八反余が寺付と定められた[15]文禄4年(1595年)の「伊集院幸侃・本田三清連署宛行状」により本田助允に106石余が宛がわれ、残りを諸侍に割り当てられた[15]

近世の永吉

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江戸時代には鹿児島郡鹿児島近在のうちであり[4]、永吉村は鹿児島近在のうちの「近名」であった[16]村高は「天保郷帳」では173石余[4]、「三州御治世要覧」によれば369石余[15]、原良村編入後の「旧高旧領取調帳」では930石余であった[15][4]安政年間には島津斉彬によって水車館(水力機織場)が設置され、機織が行われていた[17]。この水車館で行われていた紡績業は島津忠義の時代になって近代化され、磯に近代工場が造られた[18]。村内には薩摩街道、郡山街道が通っていた[4]

1871年(明治4年)に隣接する原良村(現在の原良の前身)を編入した[4][15]

町村制施行以後

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1948年の永吉付近の航空写真。中央に見えるのが鹿児島刑務所。(アメリカ軍撮影)

1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、鹿児島近在のうちの上伊敷村下伊敷村犬迫村小山田町比志島村、皆房村、永吉村の区域を以て鹿児島郡伊敷村が成立し、それまでの永吉村は伊敷村の大字「永吉」となった[4]1908年(明治41年)に鹿児島刑務所が伊敷村大字永吉に竣工し、それまで鹿児島市小川町にあった監獄が永吉の鹿児島刑務所に移転した[19]

1920年(大正9年)10月1日鹿児島郡伊敷村大字永吉の区域が伊敷村より鹿児島市に編入された[20][21][22]。ただし、町としての設置は編入から5年後となる1925年(大正14年)8月に行われ、鹿児島市の町「永吉町」となり、永吉の一部より原良町が分立した[23]

1979年(昭和54年)に原良団地・永吉団地の区域に当たる小野町、永吉町、原良町の各一部において住居表示が実施されることとなった[24]。これに伴い、7月16日に町域の再編が実施され原良町・永吉町の各一部より明和一丁目、永吉町の一部より明和四丁目、小野町・永吉町の各一部より明和五丁目が設置された[25][26][27]

1986年(昭和61年)3月25日にそれまで永吉町に所在していた鹿児島刑務所姶良郡吉松町に新築移転し[28]、前年の1985年(昭和60年)4月には未決囚を拘置するための拘置支所が設置された[29]1992年(平成4年)10月には鹿児島刑務所跡地に鹿児島アリーナが落成した[30]

2000年平成12年)3月6日には永吉町の一部にあたる永吉地区において住居表示が実施されることとなり[31]、それに伴って永吉町の一部の区域より「永吉一丁目」、「永吉一丁目」、「永吉三丁目」が設置された[32][33]2001年(平成13年)3月23日には永吉町の一部が明和一丁目に編入された[34]

町域の変遷

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実施後 実施年 実施前
鹿児島近在永吉村(編入) 1871年明治4年 鹿児島近在原良村(全域)
鹿児島市原良町(新設) 1925年(大正14年) 鹿児島市永吉(一部)
明和一丁目(新設) 1979年昭和54年) 原良町(一部)
永吉町(一部)
明和四丁目(新設) 永吉町(一部)
明和五丁目(新設) 小野町(一部)
永吉町(一部)
永吉一丁目(新設) 2000年平成12年) 永吉町(一部)
永吉二丁目(新設)
永吉三丁目(新設)
明和一丁目(編入) 2001年(平成13年) 永吉町(一部)

人口

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町丁別

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世帯数・人口[35]
世帯数 人口
永吉一丁目 787 1,927
永吉二丁目 946 1,566
永吉三丁目 629 1,309
2,362 4,802

人口推移

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以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。1995年は永吉町、2000年は永吉一丁目から永吉三丁目のデータである。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[36]
4,505
2000年(平成12年)[37]
5,097
2005年(平成17年)[38]
5,404
2010年(平成22年)[39]
5,516
2015年(平成27年)[40]
5,034

文化財

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鹿児島刑務所正門

県指定

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施設

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鹿児島修学館中学校・高等学校

公共

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教育

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郵便局

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  • 鹿児島永吉郵便局[49]

小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[50]

町丁 番・番地 小学校 中学校
永吉一丁目 全域 鹿児島市立原良小学校 鹿児島市立城西中学校
永吉二丁目 37,38 鹿児島市立玉江小学校
その他 鹿児島市立原良小学校
永吉三丁目 全域

脚注

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  1. ^ 日本 町字マスター データセット”. デジタル庁 (2022年3月31日). 2022年4月29日閲覧。
  2. ^ 自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2021年4月26日閲覧。
  3. ^ 鹿児島市の町名”. 鹿児島市. 2020年7月30日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 483.
  5. ^ 鹿児島県鹿児島市永吉の郵便番号”. 日本郵便. 2021年3月18日閲覧。
  6. ^ 年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
  7. ^ 住居表示実施区域町名一覧表”. 鹿児島市 (2020年2月3日). 2020年6月28日閲覧。
  8. ^ 毎日新聞メディア編成本部 毎日新聞戦後の重大事件早見表 1991年5月25日印刷 1991年6月10日発行 沢畠 毅 p.17 ISBN 4-620-30794-7
  9. ^ 鹿児島刑務所跡 - 鹿児島市 2012年7月24日閲覧。
  10. ^ a b 有馬知洋, 種子島時大 & 永井貴士 2012.
  11. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1969, p. 60.
  12. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1969, p. 143.
  13. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1969, p. 200.
  14. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1969, p. 201.
  15. ^ a b c d e f 芳即正 & 五味克夫 1998, p. 174.
  16. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1969, p. 403.
  17. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1969, p. 390.
  18. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1969, p. 501.
  19. ^ 南日本新聞社鹿児島大百科事典編纂室 1981, p. 177.
  20. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 783.
  21. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 422.
  22. ^ 市村の境界変更(大正9年鹿児島県告示第470号、大正9年9月22日付鹿児島県公報第1113号所収、 原文
  23. ^ 有田忠雄、河口貞徳、村田凞、稲葉行雄、村野守治、四本健光、紀野健一郎 1955, p. 561.
  24. ^ 南日本新聞 1990, p. 778.
  25. ^ 町の区域の設定(昭和54年鹿児島県告示第799号、昭和54年6月4日付鹿児島県公報第7374号所収)
  26. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 619.
  27. ^ かごしま市民のひろば(昭和54年7月号)”. 鹿児島市 (1979年7月). 2021年1月3日閲覧。
  28. ^ 鹿児島県 2006, p. 272.
  29. ^ 鹿児島県 2006, p. 273.
  30. ^ 南日本新聞 2015, p. 2.
  31. ^ 南日本新聞 2015, p. 829.
  32. ^ 町の区域の変更(平成12年鹿児島県告示第249号、平成12年3月3日付鹿児島県公報第1554号の2所収)
  33. ^ かごしま市民のひろば2000年 (平成12年2月号) 第393号”. 鹿児島市(鹿児島市広報デジタルアーカイブ). 2012年4月13日閲覧。
  34. ^ 町の区域の変更(平成13年鹿児島県告示第462号、平成13年3月23日付鹿児島県公報第1662号の2所収、 原文
  35. ^ 年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
  36. ^ 国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
  37. ^ 国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
  38. ^ 国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
  39. ^ 国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
  40. ^ 国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
  41. ^ a b 鹿児島市 2020, p. 2.
  42. ^ a b 旧鹿児島刑務所正門”. 鹿児島県. 2021年3月18日閲覧。
  43. ^ 南日本新聞 2015, p. 1009.
  44. ^ 全国の矯正管区・矯正施設・矯正研修所一覧”. 法務省. 2021年3月18日閲覧。
  45. ^ 南日本新聞 2015, p. 733.
  46. ^ 南日本新聞 2015, p. 750.
  47. ^ 南日本新聞 2015, p. 982.
  48. ^ 南日本新聞 2015, p. 960.
  49. ^ 鹿児島永吉郵便局(鹿児島県)”. 日本郵便. 2021年3月18日閲覧。
  50. ^ 小・中学校の校区(学区)表”. 鹿児島市役所. 2020年9月26日閲覧。

参考文献

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関連項目

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