下福元町
下福元町 | |
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町丁 | |
北緯31度31分15秒 東経130度30分16秒 / 北緯31.520944度 東経130.504361度座標: 北緯31度31分15秒 東経130度30分16秒 / 北緯31.520944度 東経130.504361度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 谷山地域 |
地区 | 谷山地区 |
人口情報(2020年(令和2年)4月1日現在) | |
人口 | 6,985 人 |
世帯数 | 3,261 世帯 |
郵便番号 | 891-0144 |
市外局番 | 099 |
ナンバープレート | 鹿児島 |
町字ID[1] | 0079000 |
運輸局住所コード[2] | 46500-0848 |
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下福元町(しもふくもとちょう[3])は、鹿児島県鹿児島市の町[4]。旧薩摩国谿山郡谷山郷下福元村、谿山郡谷山村大字下福元、鹿児島郡谷山町大字下福元、谷山市下福元町。郵便番号は891-0144[5]。人口は6,985人、世帯数は3,261世帯(2020年4月1日現在)[6]。
地理
[編集]鹿児島市南部(谷山地区)に位置し、和田川下流域及び万之瀬川の源流域に位置する。町域の北方には鹿児島市中山町、上福元町、南方には鹿児島市平川町、南九州市川辺町清水、東方には鹿児島市谷山中央、西谷山、慈眼寺町、錦江台、坂之上、七ツ島、光山、西方には日置市吹上町与倉、日置市吹上町湯之浦、日置市吹上町和田、南さつま市金峰町大坂がそれぞれ接している。
教育施設は町域の西部に鹿児島市唯一の併置型小中学校である鹿児島市立錫山小中学校が位置している[7]。
また、中央部を南北に指宿スカイライン(鹿児島県道17号指宿鹿児島インター線)が通っており、中央部には錫山インターチェンジが所在している。北部には東西に鹿児島県道20号鹿児島加世田線が通っており、途中で鹿児島県道22号谷山伊作線に分岐し県道20号は進路を南方に変える。南方には国道225号が南北に通っており、影原交差点で西方向に国道226号が分岐している。
河川
[編集]歴史
[編集]江戸時代の下福元村
[編集]下福元という地名は江戸時代より見え、薩摩国谿山郡谷山郷(外城)のうちであった[4]。上福元村(現在の上福元町など)と共に福本村とも称していた[4]。村高(石高)は「旧高旧領取調帳」では3,038石余であったとされ、人口は5,020人、戸数は1,019戸であった[4]。
現在、錫山小中学校が所在する錫山集落の錫山元山峠では、明暦元年(1655年)11月15日、もしくは万治元年(1658年)[8][9][10][注釈 1]、薩摩藩から地下資源開発の命を受けた
1879年(明治12年)には戸長役場が下福元村に設置された[19]。1882年(明治15年)の「県地誌」によれば下福元村に5隻の漁船があったと記載されている[20]。
町村制施行以後
[編集]1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、下福元村、上福元村、松崎町、塩屋村、和田村、平川村、中村、山田村、五ケ別府村の区域より谷山村が設置され、それまでの下福元村は谷山村の大字「下福元」(1924年の町制施行の際も同様)となった[4]。1897年(明治30年)4月1日に「 鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置法律」(明治29年法律第55号)が施行されたのに伴い、谿山郡が鹿児島郡に編入され、谿山郡に属していた谷山村は鹿児島郡のうちとなった。1957年(昭和32年)には谷山町が単独市制施行し、谷山市となったのに伴い、谷山市の町「下福元町」となった[4]。1967年(昭和42年)に谷山市が鹿児島市と新設合併し、鹿児島市の町となった[4]。
1984年(昭和59年)10月15日に慈眼寺団地・ニュー慈眼寺団地・坂之上団地・星和台団地の区域にあたる町域の一部より錦江台一丁目、錦江台二丁目、錦江台三丁目が設置された[21][22]。1996年(平成8年)2月13日には下福元町、上福元町、谷山塩屋町、和田町の区域にあたる谷山第一地区において住居表示が実施されることとなったのに伴い[23]、慈眼寺町、谷山中央五丁目から谷山中央七丁目が設置された[24]。
1997年(平成9年)4月17日には鹿児島営林署跡地に鹿児島市立ふるさと考古歴史館が開館し、町域内から発掘された掃除山遺跡のジオラマが置かれている[25]。
また、2005年(平成17年)には中央慈眼寺台地区が下福元町から慈眼寺町に編入され[23][26]、2008年(平成20年)2月25日には坂之上地区において住居表示が実施されることとなったのに伴い、坂之上一丁目から坂之上八丁目が設置され、同時に錦江台一丁目に一部が編入された[27][28][29]。また同年10月27日には光山地区において住居表示が実施され、光山一丁目及び光山二丁目が設置された[30][27]。2014年(平成26年)2月17日には谷山第二地区土地区画整理事業の事業区域の一部で谷山第二地区(第一期)として住居表示が実施され[27]、下福元町の一部及び上福元町の一部より西谷山二丁目が設置された[31]。2020年(令和2年)2月3日には下福元町の一部より西谷山三丁目が設置された[32]。
字域の変遷
[編集]変更後 | 変更年 | 変更前 |
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錦江台一丁目(新設) | 1984年(昭和59年) | 下福元町(一部) |
錦江台二丁目(新設) | ||
錦江台三丁目(新設) | ||
慈眼寺町(新設) | 1996年(平成8年) | |
谷山中央五丁目(新設) | ||
谷山中央六丁目(新設) | ||
谷山中央七丁目(新設) | 下福元町(一部) | |
上福元町(一部) | ||
坂之上一丁目(新設) | 2008年(平成20年) | 和田町(一部) |
下福元町(一部) | ||
坂之上二丁目(新設) | ||
坂之上三丁目(新設) | ||
坂之上四丁目(新設) | ||
坂之上五丁目(新設) | ||
坂之上六丁目(新設) | ||
坂之上七丁目(新設) | ||
坂之上八丁目(新設) | ||
光山一丁目(新設) | ||
光山二丁目(新設) | ||
錦江台一丁目(編入) | ||
西谷山二丁目(新設) | 2014年(平成26年) | 下福元町(一部) |
上福元町(一部) | ||
西谷山三丁目(新設) | 2020年(令和2年) | 下福元町(一部) |
人口
[編集]以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。2010年以降は住居表示の実施に伴う町域の再編により大幅な人口の減少が発生している。
年 | 人口 |
---|---|
1995年(平成7年)[33] | 30,179
|
2000年(平成12年)[34] | 26,010
|
2005年(平成17年)[35] | 26,698
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2010年(平成22年)[36] | 7,154
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2015年(平成27年)[37] | 6,854
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文化財
[編集]市指定
[編集]施設
[編集]公共
[編集]- 鹿児島市立ふるさと考古歴史館[39]
- 福平福祉館[40]
- 鹿児島市健康福祉局保健部食肉衛生検査所[41]
- 慈眼寺公園
教育
[編集]- 鹿児島市立錫山小中学校[42][43]
- 可愛幼稚園[44]
- 影原保育園[45]
寺社
[編集]小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[46]。
町・字 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
下福元町 | 一部 | 鹿児島市立谷山小学校 | 鹿児島市立谷山中学校 |
鹿児島市立西谷山小学校 | |||
鹿児島市立和田小学校 | 鹿児島市立和田中学校 | ||
鹿児島市立錦江台小学校 | |||
鹿児島市立福平小学校 | 鹿児島市立福平中学校 | ||
鹿児島市立錫山小学校 | 鹿児島市立錫山中学校 |
交通
[編集]道路
[編集]- 有料道路
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “日本 町字マスター データセット”. デジタル庁 (2022年3月31日). 2022年4月29日閲覧。
- ^ “自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2021年4月26日閲覧。
- ^ “鹿児島市の町名”. 鹿児島市. 2020年10月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 346.
- ^ “鹿児島県鹿児島市下福元町の郵便番号”. 日本郵便. 2021年1月9日閲覧。
- ^ “年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ a b “学校紹介”. 鹿児島市立錫山小中学校. 2022年12月4日閲覧。
- ^ a b c 「錫器の歴史と現在 : 製品の種類を中心に」『博物館紀要』第15巻、関西大学、13414895、2009年3月31日、31-45頁、ISSN 13414895、NAID 110007334590、2022年12月4日閲覧。
- ^ a b 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 513
- ^ a b 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 523
- ^ 鹿児島県『鹿児島県史』。ウィキソースより閲覧。
- ^ a b “薩摩錫器鹿児島を代表する伝統工芸「薩摩錫器」”. NIHONMONO (2009年7月7日). 2022年12月4日閲覧。
- ^ 上村隆一郎 (2019年2月10日). “鹿児島編 伝統工芸品 薩摩錫器”. 日本伝統文化振興財団. 2022年12月4日閲覧。
- ^ a b c 上村隆一郎 (2019年2月10日). “技に歴史あり 薩摩錫器”. 世界一の九州が始まる!. RKB毎日放送. 2022年12月4日閲覧。
- ^ a b c d “錫山”. 鹿児島市. 2013年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年11月23日閲覧。
- ^ “鹿児島県の伝統的工芸品”. 鹿児島県 (2022年6月10日). 2022年12月4日閲覧。
- ^ “伝統的工芸品”. 鹿児島県. 2022年12月4日閲覧。
- ^ “錫山校区コミュニティプラン” (PDF). 鹿児島市. 2022年12月4日閲覧。
- ^ 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 373-374.
- ^ 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 553.
- ^ 昭和59年鹿児島県告示第1660号(町の区域の設定、昭和59年10月15日付鹿児島県公報第8161号所収)
- ^ “1984年 (昭和59年10月号) 第209号”. 鹿児島市. p. 3. 2012年4月13日閲覧。
- ^ a b 南日本新聞 2015, p. 828.
- ^ “かごしま市民のひろば1996年 (平成8年02月号) 第345号”. 鹿児島市. 2012年4月16日閲覧。
- ^ 南日本新聞 2015, p. 1037.
- ^ “かごしま市民のひろば2005年 (平成17年12月号) 第463号”. 鹿児島市(鹿児島市公報デジタルアーカイブ). p. 4. 2012年4月16日閲覧。
- ^ a b c 南日本新聞 2015, p. 829.
- ^ “鹿児島市ホームページ 坂之上地区住居表示実施”. 鹿児島市. 2012年4月13日閲覧。
- ^ “坂之上地区住居表示実施”. 鹿児島市. 2012年4月16日閲覧。
- ^ 南日本新聞 2015, p. 1226.
- ^ “谷山第二地区(第一期)住居表示実施”. 鹿児島市. 2014年2月17日閲覧。
- ^ “住居表示実施ー令和2年2月3日ー上福元町・下福元町→西谷山三・四丁目”. 鹿児島市. 2020年2月8日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ a b c 南日本新聞 2015, p. 1068.
- ^ 南日本新聞 2015, p. 814.
- ^ “福平福祉館”. 鹿児島市. 2021年2月21日閲覧。
- ^ “健康福祉局 保健部 食肉衛生検査所”. 鹿児島市. 2021年9月12日閲覧。
- ^ 南日本新聞 2015, p. 950.
- ^ 南日本新聞 2015, p. 951.
- ^ 南日本新聞 2015, p. 942.
- ^ “影原保育園”. 影原保育園. 2021年1月9日閲覧。
- ^ “小・中学校の校区(学区)表”. 鹿児島市役所. 2020年9月26日閲覧。
参考文献
[編集]- 谷山市誌編纂委員会『谷山市誌』谷山市、鹿児島県、1967年3月30日 。, Wikidata Q111435390
- 南日本新聞『鹿児島市史Ⅴ』 5巻、鹿児島市、2015年3月27日 。, Wikidata Q111372912
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会「角川日本地名大辞典 46 鹿児島県」『角川日本地名大辞典』第46巻、角川書店、日本、1983年3月1日。ISBN 978-4-04-001460-9。, Wikidata Q111291392
関連項目
[編集]日置市吹上町与倉 | 中山町・上福元町 | 上福元町 | ||
日置市吹上町与倉・吹上町湯之浦・吹上町和田・南さつま市金峰町大坂・南九州市川辺町神殿 | 上福元町・西谷山三丁目・慈眼寺町・坂之上二丁目・錦江台一丁目・坂之上八丁目・坂之上七丁目・光山二丁目・七ツ島一丁目 | |||
下福元町 | ||||
南九州市川辺町清水 | 平川町 | 七ツ島一丁目 |