祇園之洲町
祇園之洲町 | |
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町丁 | |
祇園之洲公園 | |
北緯31度36分18秒 東経130度34分23秒 / 北緯31.605083度 東経130.572944度座標: 北緯31度36分18秒 東経130度34分23秒 / 北緯31.605083度 東経130.572944度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 中央地域 |
地区 | 上町地区 |
人口情報(2020年(令和2年)10月1日現在) | |
人口 | 167 人 |
世帯数 | 83 世帯 |
面積(1993年(平成5年)) | |
0.0841 km² | |
人口密度 | 1985.73 人/km² |
設置日 | 1977年(昭和52年)11月7日 |
郵便番号 | 892-0803 |
市外局番 | 099 |
ナンバープレート | 鹿児島 |
町字ID[1] | 0038000 |
運輸局住所コード[2] | 46500-1269 |
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祇園之洲町(ぎおんのすちょう[3])は、鹿児島県鹿児島市の町[4]。郵便番号は892-0803[5]。人口は167人、世帯数は83世帯(2020年10月1日現在)[6]。面積は84,100平方メートル[7]。
祇園之洲町一帯は1977年(昭和52年)に鹿児島開発事業団によって観光用地として埋立てられた区域である[7][8]。
祇園之洲付近はキリスト教の宣教師であるフランシスコ・ザビエルが天文18年(1549年)8月15日に日本に初上陸した地とされており、祇園之洲公園にはザビエル上陸記念碑が設置されている[9][10][11]。
地理
[編集]鹿児島市中部、稲荷川の河口付近に位置している。町域の北方に吉野町、南方に浜町、西方に清水町に接しており、東方に鹿児島湾に面している。
町域の南部にある祇園之洲公園にはフランシスコ・ザビエルの上陸記念碑がある[10]。
河川
[編集]- 稲荷川
町名の由来
[編集]「祇園之洲」という地名は江戸時代に八坂神社(祇園社)東側の海岸を埋め立てたことに由来する[10]。
歴史
[編集]前史
[編集]一帯は稲荷川河口に面した遠浅海岸であった[11]。戦国時代の日本でカトリック布教を行ったフランシスコ・ザビエルの日本で初めての上陸地点は稲荷川河口周辺だったと考えられている。
江戸時代に街道が通り八坂神社が現在地周辺に移転した。江戸時代に稲荷川改修が行われ、生じた土砂によって八坂神社東側海岸が埋め立てられ、祇園之洲と呼ばれるようになった[11]。
祇園之洲の埋立て
[編集]旧来の祇園之洲から水路を挟んで東側の海岸が鹿児島開発事業団によって上町地区一帯の振興を図るため観光施設等の用地確保を目的に埋立てられることとなり[7][12]、1972年(昭和47年)から1987年(昭和62年)にかけて事業が行われた[7]。せばる団地(現在の東坂元)の開発に伴って排出された土砂によって埋立てられており、同じく鹿児島開発事業団が施工した与次郎の埋立て時にも用いられたパイプラインで搬出する「水搬工法」により運搬された。せばる団地で排出された土砂は稲荷川に設置された送泥管によって祇園之洲まで運搬された[13]。埋め立て面積は84,100平方メートル、総事業費は223,757万円であった[7]。
1977年(昭和52年)には祇園之洲の埋立てが完成し[8]、同年11月7日に清水町地先の公有水面埋立地(祇園之洲)の区域に鹿児島市の町「祇園之洲町」が設置された[14][4]。
1978年(昭和53年)には祇園之洲がヤジロウの案内によってフランシスコ・ザビエルが天文18年(1549年)に上陸した地であることから祇園之洲公園にザビエル上陸記念碑が設置されている[9]。1979年(昭和54年)には祇園之洲町に鹿児島市福祉コミュニティセンターが設置された[15]。1994年(平成6年)3月には祇園之洲町と小川町の間を結ぶ国道10号鹿児島北バイパスが開通した[16]。
町域の変遷
[編集]実施後 | 実施年 | 実施前 |
---|---|---|
祇園之洲町(新設) | 1977年(昭和52年) | 公有水面埋立地 |
人口
[編集]以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。
年 | 人口 |
---|---|
1995年(平成7年)[17] | 87
|
2000年(平成12年)[18] | 98
|
2005年(平成17年)[19] | 91
|
2010年(平成22年)[20] | 189
|
2015年(平成27年)[21] | 180
|
2020年(令和2年)[6] | 167
|
施設
[編集]公共
[編集]小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[23]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
祇園之洲町 | 全域 | 鹿児島市立清水小学校 | 鹿児島市立清水中学校 |
交通
[編集]道路
[編集]脚注
[編集]- ^ “日本 町字マスター データセット”. デジタル庁 (2022年3月31日). 2022年4月29日閲覧。
- ^ “自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2021年4月26日閲覧。
- ^ “鹿児島市の町名”. 鹿児島市. 2020年11月2日閲覧。
- ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 232.
- ^ “鹿児島県鹿児島市祇園之洲町の郵便番号”. 日本郵便. 2021年2月5日閲覧。
- ^ a b “国勢調査 令和2年国勢調査小地域集計 (主な内容:基本単位区別,町丁・字別人口など)46:鹿児島県”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月10日閲覧。
- ^ a b c d e 南日本新聞開発センター 1993, p. 58.
- ^ a b 南日本新聞 1990, p. 770.
- ^ a b 南日本新聞開発センター 1993, p. 132.
- ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 683.
- ^ a b c 芳即正 & 五味克夫 1998, p. 148.
- ^ 南日本新聞 1990, p. 781.
- ^ 南日本新聞開発センター 1993, p. 130.
- ^ 町の区域の新設(昭和52年鹿児島県告示第1372号、昭和52年11月7日付鹿児島県公報第1370号所収)
- ^ a b 南日本新聞 1990, p. 642.
- ^ 南日本新聞 2015, p. 839.
- ^ “国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年2月5日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年2月5日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年2月5日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年2月5日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年2月5日閲覧。
- ^ a b c “祇園之州公園”. やさしい鹿児島スイスイなび. 鹿児島県くらし保健福祉部障害福祉課障害者支援室 (2020年1月24日). 2023年6月11日閲覧。
- ^ “小・中学校の校区(学区)表”. 鹿児島市役所. 2020年9月26日閲覧。
参考文献
[編集]- 南日本新聞『鹿児島市史Ⅳ』 4巻、鹿児島市、1990年3月15日 。, Wikidata Q111372875
- 南日本新聞『鹿児島市史Ⅴ』 5巻、鹿児島市、2015年3月27日 。, Wikidata Q111372912
- 南日本新聞開発センター『鹿児島開発事業団史 二十八年のあゆみ』鹿児島開発事業団、1993年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会「角川日本地名大辞典 46 鹿児島県」『角川日本地名大辞典』第46巻、角川書店、日本、1983年3月1日。ISBN 978-4-04-001460-9。, Wikidata Q111291392
- 芳即正、五味克夫『日本歴史地名大系47巻 鹿児島県の地名』平凡社、1998年。ISBN 978-4582910544。
関連項目
[編集]吉野町 | 吉野町 | 鹿児島湾 | ||
清水町 | 鹿児島湾 | |||
祇園之洲町 | ||||
浜町 | 浜町 | 鹿児島湾 |