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西別府町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 鹿児島県 > 鹿児島市 > 西別府町
西別府町
町丁
地図北緯31度35分36秒 東経130度29分51秒 / 北緯31.593222度 東経130.497472度 / 31.593222; 130.497472座標: 北緯31度35分36秒 東経130度29分51秒 / 北緯31.593222度 東経130.497472度 / 31.593222; 130.497472
日本の旗 日本
都道府県 鹿児島県の旗 鹿児島県
市町村 鹿児島市
地域 中央地域
地区 武・田上地区
人口情報2020年(令和2年)4月1日現在)
 人口 1,114 人
 世帯数 602 世帯
設置日 1889年4月1日
郵便番号 890-0033 ウィキデータを編集
市外局番 099
ナンバープレート 鹿児島
運輸局住所コード[2] 46500-0533
ウィキポータル 日本の町・字
鹿児島県の旗 ウィキポータル 鹿児島県
ウィキプロジェクト 日本の町・字
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西別府町(にしべっぷちょう[3])は、鹿児島県鹿児島市[4]。旧薩摩国鹿児島郡鹿児島近在西別府村鹿児島郡西武田村大字西別府郵便番号は890-0033[5]。人口は1,114人、世帯数は602世帯(2020年4月1日現在)[6]

地理

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鹿児島市西部、田上川の上流域に位置している。町域の北方には小野犬迫町、南方には五ケ別府町西陵、東方には田上、西方には石谷町がそれぞれ接している。

東部には大峯流通団地があり、周辺に鹿児島インターチェンジがあることから鹿児島における流通拠点となっている。中央部には池田学園池田中学・高等学校池田小学校が所在している。また、町域の中央部を東西に鹿児島県道24号鹿児島東市来線及び南九州西回り自動車道鹿児島道路が並行して通っている。

また、五ケ別府町との境界付近(現在の鹿児島実業高等学校付近)には西郷隆盛が帰郷した際に付近を開墾し農耕に励んだとされる野屋敷跡がある[7][8]。野屋敷跡を含む区域は2004年(平成16年)に鹿児島市によって「かごしま文化工芸村」として整備が行われた[9]。また、2013年(平成25年)には鹿児島県によって建設が進められていた西別府町の新川上流に西之谷ダムが治水対策を目的に運用を開始した[10]

河川

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  • 新川・西之谷川
  • 田上川

歴史

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成立から町村制施行まで

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西別府という地名は室町時代より見え、薩摩国のうちであった[4]寛正6年(1465年)の鹿児島諏訪社祭次第に「六番 <庚寅年> <沢牟田 西別府 原良 塚原 毛野 小野>」と見えるのが初見であると考えられている[4]

江戸時代には薩摩国鹿児島郡鹿児島近在のうちであり、西別府村は鹿児島近在のうちでは「遠村」とされていた[11]村高は「天保郷帳」では399石余[4]、「郡村高辻帳」では399石余[8]、「旧高旧領取調帳」では441石余[4]、「三州御治世要覧」では382石余であった[8]。西別府村には庄屋が置かれ、庄屋を補助する功才(のちに名主に改称)が2名置かれていた[12][13]

明治3年に調査が行われ、田上村の生産力が低かったことから西別府村の小牧を田上村に編入させたが、西別府村の調査を行ったところ田上村以上に生産力が低かったことが判明し、再び小牧は西別府村のうちとなった[14]。「鹿児島地誌」によれば西別府は「ニシノビウ」と読まれていたと記述されており[8]、明治時代初期の西別府村は圧倒的に農民が多く居住しており農村であった[15]

町村制施行以降

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1889年(明治22年)には町村制が施行され、西別府村、武村田上村の区域より鹿児島郡西武田村が成立した[16]。それに伴ってそれまでの西別府村は西武田村大字西別府」となった[4]

1934年(昭和9年)8月1日西武田村鹿児島郡中郡宇村及び吉野村と共に鹿児島市に編入された[17][18][19]。同日発行の鹿児島県公報に掲載された鹿児島県告示 鹿兒島市内大字名廢止町名改稱竝ニ區域變更」により「西別府ヲ廢止シ其ノ區域ヲ西別府町(ニシノビユウテウ)ト」することが鹿児島県知事によって許可され、西武田村の大字西別府を廃し、その区域を以て新たに鹿児島市の町「西別府町」が設置された[20][4]

1980年(昭和55年)7月28日に西郷団地地区において住居表示が実施されることとなり、町域の再編が実施された[21]田上町、西別府町の各一部より西陵一丁目及び西陵二丁目、西別府町の一部より西陵三丁目及び西陵四丁目が新たに設置された[22][23][21]

1986年(昭和61年)2月10日に田上団地地区において住居表示が実施されることとなった[24][25]。これに伴い、田上団地・前ケ迫団地・鶴留団地・丸岡団地の区域にあたる区域において町域の再編が実施され、西別府町及び田上町の一部より田上台四丁目が設置された[24][26]

1988年昭和63年)2月15日には、西郷団地地区の残りの区域で住居表示が実施され[27]、西別府町の一部より西陵五丁目及び西陵七丁目・西陵八丁目、西別府町・田上町の各一部より西陵六丁目が設置された[28][29]。その他に西別府町の一部が西陵二丁目及び西陵四丁目に編入され[28][29]1990年(平成2年)2月13日に西別府町と田上町の一部より田上五丁目及び田上八丁目が設置された[30]1997年平成9年)2月17日には西別府町の一部が西陵三丁目に編入され[31][32]1999年平成11年)3月29日2016年(平成28年)2月1日には西別府町の一部が西陵七丁目の一部に編入された[33][34]

町域の変遷

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実施後 実施年 実施前
西陵一丁目(新設) 1980年昭和55年) 田上町(一部)
西別府町(一部)
西陵二丁目(新設) 西別府町(一部)
西陵三丁目(新設)
西陵四丁目(新設)
田上台四丁目(新設) 1986年昭和61年) 西別府町(一部)
田上町(一部)
西陵二丁目(編入) 1988年昭和63年) 西別府町(一部)
西陵四丁目(編入)
西陵五丁目(新設) 西別府町(一部)
西陵六丁目(新設) 西別府町(一部)
田上町(一部)
西陵七丁目(新設) 西別府町(一部)
西陵八丁目(新設)
田上五丁目(新設) 1990年(平成2年) 西別府町(一部)
田上町(一部)
田上八丁目(新設) 西別府町(一部)
田上町(一部)
西陵三丁目(編入) 1997年平成9年) 西別府町(一部)
西陵七丁目(編入) 1999年平成11年) 西別府町(一部)
西陵七丁目(編入) 2016年(平成28年) 西別府町(一部)

人口

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以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[35]
1,650
2000年(平成12年)[36]
1,369
2005年(平成17年)[37]
1,498
2010年(平成22年)[38]
1,400
2015年(平成27年)[39]
1,382

施設

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公共

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教育

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その他

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小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[45]

町丁 番地 小学校 中学校
西別府町 海江田団地 鹿児島市立田上小学校 鹿児島市立武中学校
上記を除く全域 鹿児島市立西陵中学校

交通

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道路

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一般国道
主要地方道

鉄道

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町域に駅は所在しないが、九州新幹線が通っている。最寄駅は中央町鹿児島中央駅または上谷口町上伊集院駅である。

バス

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  • 南国交通
    • (N16 文化工芸村線)文化工芸村
    • (N18 石谷線)池田高校前 - 金井迫 - 岩屋口 - 野首谷
    • (N24 大峯団地・武岡台高校線)大峯団地住宅前 - 大峯団地西 - 大峯団地中央 - 武田上公民館入口

脚注

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  1. ^ 日本 町字マスター データセット”. デジタル庁 (2022年3月31日). 2022年4月29日閲覧。
  2. ^ 自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2021年4月26日閲覧。
  3. ^ 鹿児島市の町名”. 鹿児島市. 2020年7月30日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 501.
  5. ^ 鹿児島県鹿児島市西別府町の郵便番号”. 日本郵便. 2021年3月19日閲覧。
  6. ^ 年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
  7. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 690.
  8. ^ a b c d 芳即正 & 五味克夫 1998, p. 172.
  9. ^ a b 南日本新聞 2015, p. 991.
  10. ^ 南日本新聞 2015, p. 846.
  11. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1969, p. 403.
  12. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1969, p. 415.
  13. ^ 有田忠雄、河口貞徳、村田凞、稲葉行雄、村野守治、四本健光、紀野健一郎 1955, p. 370.
  14. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1969, p. 439-440.
  15. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1969, p. 771.
  16. ^ 有田忠雄、河口貞徳、村田凞、稲葉行雄、村野守治、四本健光、紀野健一郎 1955, p. 487.
  17. ^ 中郡宇村西武田村及吉野村ヲ廢シ鹿兒島市ヘ編入(昭和9年鹿児島県告示第327号、昭和9年7月27日付鹿児島県公報号外所収、 原文
  18. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 783.
  19. ^ 有田忠雄、河口貞徳、村田凞、稲葉行雄、村野守治、四本健光、紀野健一郎 1955, p. 600.
  20. ^ 有田忠雄、河口貞徳、村田凞、稲葉行雄、村野守治、四本健光、紀野健一郎 1955, p. 601.
  21. ^ a b かごしま市民のひろば(昭和55年7月号)”. 鹿児島市. 2021年2月21日閲覧。
  22. ^ 町の区域の新設及び変更(昭和55年鹿児島県告示第847号、昭和55年6月13日付鹿児島県公報第7526号所収)
  23. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 373.
  24. ^ a b かごしま市民のひろば(昭和61年1月号)”. 鹿児島市 (1986年1月). 2021年1月3日閲覧。
  25. ^ 南日本新聞 1990, p. 778.
  26. ^ 町の区域の設定及び変更(昭和61年鹿児島県告示第257号、昭和61年2月10日付鹿児島県公報第8352号)
  27. ^ 南日本新聞 2015, p. 828.
  28. ^ a b 町の区域の設定及び変更(昭和63年鹿児島県告示第270号の2、昭和63年2月15日付鹿児島県公報第8648号所収)
  29. ^ a b かごしま市民のひろば1988年 (昭和63年2月号) 第249号”. 鹿児島市(鹿児島市広報デジタルアーカイブ). 2012年4月13日閲覧。
  30. ^ 町の区域の設定及び変更(平成2年鹿児島県告示第299号、平成2年2月9日付鹿児島県公報第161号の2)
  31. ^ かごしま市民のひろば(平成9年2月号)”. 鹿児島市. 2021年2月21日閲覧。
  32. ^ 平成9年鹿児島県告示第139号(町の区域の変更、平成9年1月27日付鹿児島県公報1167号の2所収)
  33. ^ 町の区域の変更(平成11年鹿児島県告示第465号、平成11年3月23日付鹿児島県公報第1456号所収)
  34. ^ かごしま市民のひろば(平成28年1月号)”. 鹿児島市. 2021年2月23日閲覧。
  35. ^ 国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
  36. ^ 国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
  37. ^ 国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
  38. ^ 国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
  39. ^ 国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
  40. ^ 南日本新聞 2015, p. 989.
  41. ^ 施設案内”. 鹿児島市立図書館. 2021年9月11日閲覧。
  42. ^ 南日本新聞 2015, p. 960.
  43. ^ 南日本新聞 2015, p. 959.
  44. ^ 南日本新聞 2015, p. 949.
  45. ^ 小・中学校の校区(学区)表”. 鹿児島市役所. 2020年9月26日閲覧。

参考文献

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関連項目

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