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奈古屋隆忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
奈古屋隆忠
時代 江戸時代前期
生誕 慶長8年(1603年
死没 貞享3年1月26日1686年2月18日
別名 通称:伝十郎、与三右衛門尉、勘兵衛
主君 毛利就隆元賢
徳山藩
氏族 大江姓毛利氏庶流奈古屋家
父母 父:奈古屋元忠 母:神代忠兼の娘
兄弟 隆忠小方隆冬十兵衛保宣隆豊
長意念誉、女(堀平左衛門の妻)、
女(村上就次の妻)
正室:日野元重の娘
継室:木梨景吉の娘、深瀬直良の娘
隆充隆吉宗豊匡直、女(氏家為棟室)、杉山次俊
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奈古屋 隆忠(なごや たかただ)は、江戸時代初期の徳山藩家老。禄高は500石。父は奈古屋元忠。子に奈古屋隆充奈古屋里人の実父)、隆吉宗豊匡直、女(氏家為棟室)、杉山次俊

生涯

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慶長8年(1603年)、毛利家の家臣・奈古屋元忠の長男として生まれる。

寛永7年(1630年)に父が死去するとその跡を継ぎ、毛利就隆元賢の2代にわたって仕えた後、貞享3年(1686年1月26日に死去した。享年84。子の隆充が跡を継いだ。

参考文献

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