コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

奈良安剛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
奈良 安剛
名前
愛称 ヤス、らっきょ
カタカナ ナラ ヤスヨシ
ラテン文字 NARA Yasuyoshi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1982-12-12) 1982年12月12日(41歳)
出身地 神奈川県横須賀市
身長 180cm
体重 70kg
選手情報
ポジション MF
ユース
1998-2000 日本の旗 桐蔭学園高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2002 日本の旗 コンサドーレ札幌 1 (0)
2003 日本の旗 ザスパ草津
2004-2005 日本の旗 群馬FCホリコシ 37 (7)
2005 日本の旗 ロッソ熊本 2 (0)
2006-2007 日本の旗 松本山雅FC 9 (1)
2007-2008 日本の旗 ツエーゲン金沢 22 (17)
通算 71 (25)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

奈良 安剛(なら やすよし、1982年12月12日 - )は、神奈川県横須賀市出身の元サッカー選手

来歴

[編集]

兄の影響で5歳の頃からサッカーを始める。中学時代には横浜マリノス・ジュニアユースで全日本選手権出場を経験し、中学卒業後はサッカー強豪校として知られる桐蔭学園高校に進学。1年生の時から全国大会のメンバーに名を連ね、2000年全国高校サッカー選手権大会ではエースFWとして活躍した。2001年コンサドーレ札幌に新加入。札幌では主に中盤の選手として起用され、ボランチや攻撃的ミッドフィールダーとしてプレーした。しかし、トップチーム出場は2002年の1試合のみにとどまり、同シーズン終了後に戦力外通告を受け退団。当時、Jリーグ入りを目指していた関東サッカーリーグ2部・ザスパ草津へ移籍した。草津では主にFWとしてプレー。得点源として活躍し、チームの優勝に貢献。チーム得点王になると同時に関東社会人リーグ2部のベストイレブンにも選ばれた。しかし、シーズン終了後に同チームを退団し、Jリーグ合同トライアウトに参加。Jリーグ復帰を目指したが叶わず、2004年JFL群馬FCホリコシへ入団した。ホリコシでも中心選手として活躍し、同年の天皇杯柏レイソル戦ではチームに退場者が出て苦しい中、決勝点を奪う活躍をみせ、プロチームからの勝利に貢献した。しかし、2005年は振るわず、シーズン途中に九州サッカーリーグロッソ熊本へ移籍。ここでも結果を出すことが出来ず、シーズン終了後に北信越フットボールリーグ松本山雅FCへ移籍した。松本でもなかなか結果を出せなかったが、2007年5月ツエーゲン金沢に移籍して本来の能力を発揮、10試合7ゴールと得点を量産、チームに貢献した。2008年のシーズンを終えて自主退団、2009年に引退を表明した。引退後は横浜F・マリノスの育成部のコーチに就任した。2023年現在関東学院大学監督。

所属クラブ

[編集]

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2001 札幌 24 J1 0 0 0 0
2002 1 0 0 0
2003 草津 関東2部 -
2004 ホリコシ 25 JFL 26 7 - - 26 7
2005 11 11 0 - - 11 0
2005 熊本 27 九州 2 0 - 1 0 3 0
2006 松本 15 北信越1部 8 1 - 2 0 10 1
2007 25 1 0 - - 1 0
金沢 26 10 7 - 3 1 13 8
2008 12 10 - 2 0 14 10
通算 日本 J1 1 0 1 0
日本 JFL 37 7 - - 37 7
日本 関東2部 -
日本 北信越1部 31 18 - 7 1 38 19
日本 九州 2 0 - 1 0 3 0
総通算 71 25 0 0 8 1 79 26

出典

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]