奈良村正則
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奈良村 正則(ならむら まさのり、1854年1月15日(嘉永6年12月17日)[1] - 没年不明)は、日本の武士(旧天童藩士[2])、弁護士[3][4]、政治家、会社役員。山形県会議員[2]。山形市会議員[5]。山形弁護士会会長[6][7]。族籍は山形県士族[1][2][8]。
元キャンディーズのメンバーで女優・歌手の伊藤蘭は曽孫、女優の趣里は玄孫である。
経歴
[編集]山形県士族・奈良村鐵藏の長男[1]。山形法律学舎出身[9]。1871年、家督を相続する[1]。1879年、代言人免許を得る[8]。1894年、第4回衆議院議員総選挙に自由党から立候補、落選する[10][11]。山形共益監査役をつとめる[注 1]。
人物
[編集]1884年に有斐堂から出版された『訴訟手続』の編纂人である[13]。七日町に寄留する[13]。住所は山形県山形市旅篭町[1][4]。
家族・親族
[編集]- 奈良村家
- 親戚
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第4版』な4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月17日閲覧。
- ^ a b c 『山形県議会八十年史 第1(明治篇)』414頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月17日閲覧。
- ^ 『職業別山形市営業銘鑑』14頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月21日閲覧。
- ^ a b 『日本辯護士名簿 大正15年7月現在』447頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月17日閲覧。
- ^ 『山形市政四十年史』288頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月17日閲覧。
- ^ 『日本弁護士協会録事(130)』72 - 73頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月17日閲覧。
- ^ 『国民年鑑 大正7年』417頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月17日閲覧。
- ^ a b 『日本帝国代言人姓名録 附・法律学士姓名録』97頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年3月17日閲覧。
- ^ 『山形市史 下巻 (近代編)』968頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月17日閲覧。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 明治45年2月』94 - 95頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月17日閲覧。
- ^ 『新聞集成明治編年史 第9巻 日淸戰爭期』131頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月17日閲覧。
- ^ 『日本全国諸会社役員録 明治36年』山形県542頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月17日閲覧。
- ^ a b 『訴訟手続』(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月17日閲覧。
- ^ a b 『越・佐傑人譜 昭和14年度版』い11 - 12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月17日閲覧。
- ^ “ファミリーヒストリー 伊藤蘭〜“蘭の花”親子3代の秘話〜”. NHK (2023年8月25日). 2023年10月17日閲覧。
参考文献
[編集]- 山本光嫁編『日本帝国代言人姓名録 附・法律学士姓名録』山本光嫁、1887年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治36年』商業興信所、1903年。
- 『日本弁護士協会録事(130)』日本弁護士協会、1909年。
- 『衆議院議員総選挙一覧 明治45年2月』衆議院事務局、1912年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 国民新聞社編『国民年鑑 大正7年』民友社出版部、1917年。
- 宮本教隆編『職業別山形市営業銘鑑』東北広告協会、1926年。
- 『日本辯護士名簿 大正15年7月現在』日本辯護士協會、1926年。
- 橋詰達雄編『山形市政四十年史』橋詰達雄、1929年。
- 『新聞集成明治編年史 第9巻 日淸戰爭期』財政経済学会、1936年。
- 日本風土民族協会編『越・佐傑人譜 昭和14年度版』日本風土民族協会、1938年。
- 山形県議会八十年史編纂委員会編『山形県議会八十年史 第1(明治篇)』山形県議会、1961年。
- 山形市市史編さん委員会、山形市市史編集委員会編『山形市史 下巻 (近代編)』山形市、1975年。