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奥山ひよ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

奥山 ひよ(おくやま ひよ、生年不詳 - 天正13年8月6日1585年8月30日))は、戦国時代の女性。遠江国引佐郡井伊谷の領主・井伊直親の妻[1]井伊直政の母。

人物

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龍潭寺境内の井伊氏一族の墓。左から直政、ひよ、直親直虎祐椿尼

井伊家の親類衆である奥山朝利の娘[注釈 1]である。井伊直親との結婚後、祝田村に住む[2]永禄4年(1561年)に直政を生むが、翌永禄5年(1562年)に直親は朝比奈泰朝の襲撃を受けて殺害され、未亡人となる。その後、直政と共に新野家に身を寄せる。天正2年(1574年)頃、井伊直虎とその母祐椿尼の計らいにより、浜松の武士・松下清景松下常慶の兄)と再婚する[3][4]

天正13年(1585年)8月6日、浜松で死去[5]。戒名は永護院殿蘭庭宗徳大姉。菩提は龍潭寺で、墓は直親の隣にある[6]

登場する作品

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脚注

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注釈

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  1. ^ 奥山親朝の娘との説もある。

出典

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  1. ^ 梓澤 2016, p. 56.
  2. ^ 歴史と文化の研究所 2017, p. 65, 渡邊大門「井伊家当主の権限を代行した波乱の人生」.
  3. ^ 小和田 2016, pp. 192–195.
  4. ^ 井伊達夫監修『おんな城主直虎と井伊家の歴史』キネマ旬報社、2016年、30頁。 
  5. ^ 「井伊家傳記」(『細江町史 資料編 4』(細江町、1984年)p.126)
  6. ^ 龍潭寺境内墓所図(井伊家歴代・龍潭寺歴代住職 南渓・傑山・昊天・家臣)”. 龍潭寺. 2017年7月1日閲覧。

参考文献

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  • 祖山法忍『井伊家伝記』。 
  • 井伊家遠州渋川村古跡事
  • 江宮隆之『井伊直政と家康』〈学研M文庫〉2008年。 
  • 梓澤要『城主になった女 井伊直虎』NHK出版、2016年。 
  • 小和田哲男『井伊直虎:戦国井伊一族と東国動乱史』〈洋泉社新書〉2016年。 
  • 楠戸義昭『女城主・井伊直虎』PHP研究所、2016年。 
  • 歴史と文化の研究所 編『井伊一族のすべて』洋泉社、2017年。 

関連項目

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