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奥山武宰士

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
奥山 武宰士
名前
カタカナ オクヤマ ムサシ
ラテン文字 OKUYAMA Musashi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1991-05-15) 1991年5月15日(33歳)
出身地 東京都八丈町
身長 176cm
体重 67kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
2003-2006 日本の旗 柏レイソル
2007-2009 日本の旗 アルビレックス新潟
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2010-2013 日本の旗 アルビレックス新潟 0 (0)
2011-2012 シンガポールの旗 アルビレックス新潟・S 44 (4)
2014 ミャンマーの旗 サザン・ミャンマー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

奥山 武宰士(おくやま むさし、1991年5月15日 - )は、東京都八丈町出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー

来歴

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柏レイソル

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八丈島酒造会社を営む家に生まれた。小学5年生になった2002年、島に赴任してきたコーチの影響もあり、柏レイソル下部組織のセレクションに応募して合格[1]。翌年母親と共に島を離れ、柏市内へ移り住んだ。中学3年時の2005年には、チームのヨーロッパ遠征で訪れたヴェルダー・ブレーメンユースへの入団を目指したが、ブレーメンの日本人学校閉校によって実現しなかった[2]。同年の日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会では3位に入ったが、エコノミークラス症候群発症等のコンディション悪化もあって柏ユース昇格は見送られた。

アルビレックス新潟

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柏ユース昇格見送りの後、アルビレックス新潟ユースのセレクションに合格して入団。2008年には2種登録選手となり、翌2009年のトップチームのキャンプへ帯同した。2010年にトップチームへ昇格。八丈島出身として初のJリーガーとなった[3]。同年1月10日には、島内のリゾート施設で新潟とのプロ契約調印式が公開で行われ、その出席者150人によって後援会も発足した。その席には同地で自主トレーニング中だった日本代表長友佑都も駆けつけ、奥山を激励した[3]

しかしトップチームでは1試合の出場機会も与えられず、翌2011年にアルビレックス新潟シンガポールへレンタルで放出された。2年間のシンガポール生活を経て2013年に新潟へ復帰するも出場機会は無く、シーズン終了後の2014年1月15日に退団が発表された[4]

サザン・ミャンマー

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2014年5月27日、ミャンマーリーグサザン・ミャンマーへの移籍が発表された[5]

引退後

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2020年に八丈島に戻り実家の酒蔵を継いで焼酎の製造・販売に携わっている[6]

所属クラブ

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ユース経歴
プロ経歴

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2008 新潟 32 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2009 30 0 0 0 0 0 0 0 0
2010 25 0 0 0 0 0 0 0 0
シンガポール リーグ戦 リーグ杯シンガポール杯 期間通算
2011 新潟S 14 Sリーグ 21 3 4 0 4 0 29 3
2012 8 23 1 1 0 3 0 27 1
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2013 新潟 27 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
通算 日本 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
シンガポール Sリーグ 44 4 5 0 7 0 56 4
総通算 44 4 5 0 7 0 56 4
  • 2008年、2009年は2種登録

代表歴

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出典

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  1. ^ 少年武宰士ものがたり・風雲編 谷田部啓一、南海タイムス社、2010年4月16日
  2. ^ 少年武宰士ものがたり・立志編 谷田部啓一、南海タイムス社、2010年5月14日
  3. ^ a b 南海タイムス2010年1月15日付記事 [1]
  4. ^ 奥山武宰士選手の契約について、アルビレックス新潟、2014年1月15日
  5. ^ 移籍リスト 第14-21号 2014年5月27日、JFA、2014年5月27日
  6. ^ 八丈島出身の元Jリーガー、家業の焼酎造り修行中…新たなゴールは「島酒」を本土に広めること」『読売新聞』2024年9月25日。2024年9月26日閲覧。

外部リンク

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