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八丈町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
はちじょうまち ウィキデータを編集
八丈町
八丈島登龍峠から眺めた八丈富士と八丈小島
八丈町旗 八丈町章
八丈町旗 八丈町章
1957年10月13日制定
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 東京都八丈支庁
なし
市町村コード 13401-5
法人番号 3000020134015 ウィキデータを編集
面積 72.24km2
総人口 6,664[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 92.2人/km2
隣接自治体 なし
町の木 フェニックス・ロベレニーシンノウヤシ
町の花 ストレチア
町の鳥、町の魚 アカコッコハルトビ
八丈町役場
町長 山下奉也
所在地 100-1498
東京都八丈島八丈町大賀郷2551-2
北緯33度06分34秒 東経139度47分27秒 / 北緯33.1095度 東経139.79089度 / 33.1095; 139.79089座標: 北緯33度06分34秒 東経139度47分27秒 / 北緯33.1095度 東経139.79089度 / 33.1095; 139.79089

八丈町役場(2017年11月撮影)
地図
町庁舎位置
外部リンク 公式ウェブサイト

八丈町位置図

― 区 / ― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト
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八丈町(はちじょうまち)は、東京都島嶼部に位置する

伊豆諸島南部の八丈島および八丈小島を区域とする。八丈小島は現在無人島である[1]

地理

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河川

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山岳

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歴史

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年表

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  • 1908年(明治41年)4月1日 - 島嶼町村制が施行され、八丈支庁の八丈島に大賀郷村三根村樫立村中之郷村末吉村が設置される。八丈小島には施行されず、名主制が存続[2]
  • 1929年(昭和4年)5月 - 昭和天皇が乗艦した那智が八重根港に寄港する(天皇の上陸は無し)[3]
  • 1947年(昭和22年)5月3日 - 地方自治法が施行され、八丈小島に鳥打村宇津木村が設置される。
  • 1954年(昭和29年)10月1日 - 三根村・樫立村・中之郷村・末吉村・鳥打村が合併し、八丈村となる[2]
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 大賀郷村・宇津木村を編入し町制施行。八丈町となる[2]
  • 1966年(昭和41年)3月 - 八丈小島の住民から八丈町議会に「移住促進、助成に関する請願書」が提出される。
  • 1966年(昭和41年)6月 - 八丈町議会が請願を採択。
  • 1966年(昭和41年)7月 - 八丈町議会は「小島引き揚げ対策協議会」を設置。
  • 1967年(昭和42年)9月 - 八丈町から東京都に対し「八丈小島の全員離島の実施に伴う八丈町に対する援助」の陳情が行われる。
  • 1967年(昭和42年)9月17日 - 八重根港の沖合で台風第20号の強風を避けるために避難していた茨城県の漁船2隻が次々と転覆。死者、行方不明者26人[4]
  • 1968年(昭和43年)10月 - 土地買収に関する住民との協議が成立。土地買収価格(在住者坪当たり93円、不在者60円)。
  • 1968年(昭和43年) - 八丈小島のバク病が消える。マレー糸線虫撲滅宣言は行われず。
  • 1969年(昭和44年)1月 - インフラ未発達のため、八丈小島からの離島を開始する。
  • 1969年(昭和44年)6月 - 八丈小島全島民の移住が完了(全島民撤退時の島の人口は旧宇津木村9戸31人、旧鳥打村15戸60人)。「全国初の全島民完全移住」として注目された。

行政区域変遷

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  • 変遷の年表
八丈町町域の変遷(年表)
月日 現八丈町町域に関連する行政区域変遷
1908年(明治41年) 10月1日 八丈島への島嶼町村制施行により、以下の村が発足。[5][6]
1940年(昭和15年) 4月1日 伊豆諸島の島嶼町村制が普通町村制に移行。
1943年(昭和18年) 7月1日 東京都制施行により、東京府、東京市が合併し東京都が発足。
1947年(昭和22年) 5月3日 地方自治法の施行により、八丈小島に以下の村が発足。
1954年(昭和29年) 10月1日 三根村・樫立村・中之郷村・末吉村・鳥打村とともに合併し、八丈村が発足。
1955年(昭和30年) 4月1日 八丈村は大賀郷村・宇津木村を編入。
  • 同日、八丈村は町制施行し八丈町になる。
  • 変遷表
八丈町町域の変遷表
1868年
以前
明治41年
10月1日
昭和22年
5月3日
昭和22年 - 昭和64年 平成元年 - 現在 現在
三根村 三根村 三根村 昭和29年10月1日
八丈村
昭和30年4月1日
町制
八丈町 八丈町
樫立村 樫立村 樫立村
中之郷村 中之郷村 中之郷村
末吉村 末吉村 末吉村
鳥打村 鳥打村
宇津木村 宇津木村 昭和30年4月1日
八丈村に編入
大賀郷村 大賀郷村 大賀郷村
ランドサット衛星写真
玉石垣

人口

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八丈町と全国の年齢別人口分布(2005年) 八丈町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 八丈町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
八丈町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 10,316人
1975年(昭和50年) 10,318人
1980年(昭和55年) 10,244人
1985年(昭和60年) 10,024人
1990年(平成2年) 9,420人
1995年(平成7年) 9,476人
2000年(平成12年) 9,488人
2005年(平成17年) 8,837人
2010年(平成22年) 8,231人
2015年(平成27年) 7,613人
2020年(令和2年) 7,042人
総務省統計局 国勢調査より


行政

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  • 町長:山下奉也(やました ともなり、2011年9月25日就任 4期目)[7]

歴代町長

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『町制施行60周年記念誌』より[8]

氏名 就任 退任 備考
初代 小宮山俊一郎 1955年4月 1962年10月
第2代 池田要太 1962年10月 1969年1月
第3代 峯元清次 1969年1月 1977年1月 1977年から都議会議員連続2期[9]
第4代 奥山日出男 1977年2月 1997年1月
第5代 笹本直衛 1997年2月 2001年1月
第6代 浅沼道徳 2001年2月 2011年8月5日 在職中に死去[10]
第7代 山下奉也 2011年9月25日

議会

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町議会

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  • 議長:山本 忠志(やまもと ただし、 2022年10月26日就任)[11])
  • 副議長:浅沼 憲春(あさぬま のりはる、 2022年10月26日就任)[11]
  • 定数:12人(任期満了日 : 2026年10月24日) [7]
  • 常任委員会:総務文教委員会、経済企業委員会

都政

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八丈町が属する島部選挙区から選出される東京都議会議員の定数は1議席である。

国政

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衆議院
議員名 党派名 当選回数 備考
松原仁 立憲民主党 8 選挙区
石原宏高 自由民主党 5 比例復活
参議院

東京都選挙区に属する。選出議員についての詳細は、東京都選挙区の項を参照のこと。

交通

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八丈島空港
底土港

地域

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現在の八丈町は大賀郷(おおかごう)、三根(みつね)、樫立(かしたて)、中之郷(なかのごう)、末吉(すえよし)の五集落からなる。これらの集落は1908年に八丈支庁が設置され、八丈島に町村制が施行された時は、それぞれが独立した自治体(村)であった。八丈富士と三原山の中間にある平野部に存在する大賀郷と三根をあわせて坂下地区、三原山周辺にある樫立、中之郷、末吉をあわせて坂上地区と称することもある。島民はほとんど坂上、坂下で区別する。この坂上地区と坂下地区は日露戦争の戦勝を記念して造られた大坂トンネルを境に分かれており、このトンネルが完成するまでは両地区を行き来するには山を越える必要があった。

2020年7月現在、町の人口約7,300人の内約6,000人が坂下地区に在住している。今でこそは利便性などもあり坂下地区に人口が多くなっているが、大昔島に人が住み着いたころは水源が豊富であることから樫立地区に人が多く集まっていたという説がある。

八丈富士周辺は大賀郷と三根に属し、通称永郷(えいごう)地区と呼ばれている。三根側の当地区はさらに三根永郷地区と称される。かつては多数の農家が入植し、小学校の分教場が置かれたこともあったが、利便性などの事情により、現在は農家が僅かに存在するだけである。

地方ではよくあることだが、各集落内は部落と呼ばれる更に細かい区域分けがされている。秋に各地区で行われる運動会では部落対抗リレーが行われたり、祭礼も部落ごとに行われることがある。

教育

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小学校
中学校
高等学校

郵便

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(※2013年10月現在)

  • 日本郵便株式会社
    • 三根郵便局(三根)
    • 八丈島郵便局(大賀郷)
    • 八丈島樫立郵便局(樫立)
    • 中ノ郷郵便局(中之郷)
    • 末吉郵便局(末吉)
    • 三根川向簡易郵便局(三根)→令和3年3月の営業をもって廃止となった。

三根郵便局・中ノ郷郵便局では土曜・休日にも郵便窓口を営業(午前中のみ)。

金融機関

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七島信用組合八丈島支店

医療機関

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自治体交流

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出身者

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ゆかりの人物・作品

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人物

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作品

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関連項目

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  • 八丈島地熱・風力発電所 - 2019年3月に廃止された八丈島の「ベースロード電源」。風力発電設備は2014年3月まで併設されていた。

脚注

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  1. ^ 八丈島の概要#八丈小島”. 八丈町. 2023年9月24日閲覧。
  2. ^ a b c 八丈島の歴史”. 八丈町. 2023年9月24日閲覧。
  3. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、67頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  4. ^ 「26人のんだ地獄の風 八丈島の漁船遭難」『朝日新聞』昭和47年(1972年)9月18日朝刊、13版、23面
  5. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1978年、ISBN 4040011309より
  6. ^ 日本加除出版株式会社編集部『全国市町村名変遷総覧』、日本加除出版、2006年、ISBN 4817813180より
  7. ^ a b 任期満了日(定数)一覧”. 東京都選挙管理委員会. 2023年9月24日閲覧。
  8. ^ 町制60周年記念誌” (PDF). 八丈町. p. 12/88 (2015年3月29日). 2017年11月15日閲覧。
  9. ^ 東京都議会議員選挙結果・島部選挙区 - 政治情報ライブラリ
  10. ^ “浅沼道徳町長 急逝 3期目半ば 町葬でお別れ”. 南海タイムス. (2011年8月12日). オリジナルの2021年4月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210413144626/http://www.nankaitimes.com/kakokiji/2011/kiji110812.html 2017年11月15日閲覧。 
  11. ^ a b 正副議長および委員会委員の選任”. 八丈町 (2022年11月25日). 2023年9月24日閲覧。
  12. ^ アクセス|青ヶ島村ホームページ

外部リンク

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