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奥村栄明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

奥村 栄明 (おくむら はるあき、永禄11年(1568年) - 元和6年5月20日1620年6月20日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将前田家の家臣。加賀藩年寄。加賀八家奥村宗家第2代当主。奥村永福の子。兄弟は奥村易英奥村栄頼。正室は山崎長徳の娘・亀、継室は高畠定吉の娘。子は奥村栄政、近藤甲斐光賀室。通称は孫十郎、助十郎、織部。官位は従五位河内守。

生涯

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永禄11年(1568年)、前田家家老・奥村永福の長男として尾張荒子に生まれる。

主君・前田利家の命で、父・永福が越中国佐々成政への押さえとして末森城を任されると弟・易英と共に同行し、天正12年(1584年)、佐々成政に末森城を攻められた際に父と共に城を守る(末森城の戦い)。天正18年(1590年)、利家に従い豊臣氏小田原征伐に出陣。慶長元年(1596年)、従五位河内守に任官される。

慶長4年(1599年)、父の隠居により家督と知行1万650石を相続する。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは加賀大聖寺城攻撃や浅井畷の戦いで戦功を挙げ、慶長19年(1614年)から同20年(1615年)にかけての大坂の陣にも出陣し、その功で3000石加増された。また、元和元年(1615年)、弟の栄頼が藩主前田利常と対立して前田家を退身した際には、父の制止で同調しなかった。さらに同年世子前田光高誕生の際に蟇目役を務め、以降、藩主家に子供が誕生した際に、奥村家の当主が蟇目役を務めることとなった。

元和6年(1620年)死去、享年53。家督は嫡男栄政が相続した。

参考文献

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  • 『加賀藩史稿』