石鳥谷町
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(好地村から転送)
いしどりやちょう 石鳥谷町 | |||||
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廃止日 | 2006年1月1日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 石鳥谷町、花巻市、大迫町、東和町 → 花巻市 | ||||
現在の自治体 | 花巻市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 岩手県 | ||||
郡 | 稗貫郡 | ||||
市町村コード | 03342-1 | ||||
面積 | 118.57 km2. | ||||
総人口 |
15,951人 (推計人口、2005年12月31日) | ||||
隣接自治体 | 稗貫郡:大迫町、和賀郡:東和町、紫波郡:紫波町、岩手郡:雫石町、花巻市 | ||||
町の木 | 杉 | ||||
町の花 | 梅 | ||||
町の鳥 | 鳶 | ||||
石鳥谷町役場 | |||||
所在地 |
〒028-3163 岩手県稗貫郡石鳥谷町八幡第4地割161番地 | ||||
座標 | 北緯39度29分02秒 東経141度08分49秒 / 北緯39.48394度 東経141.14706度座標: 北緯39度29分02秒 東経141度08分49秒 / 北緯39.48394度 東経141.14706度 | ||||
ウィキプロジェクト |
石鳥谷町(いしどりやちょう)は、平成17年(2005年)まで岩手県稗貫郡にあった町。現在の花巻市のうち石鳥谷町を冠する各大字にあたる。特産品はリンゴ・リンドウ・日本酒など。特に日本酒については町内の歴史民俗資料館・南部杜氏伝承館で伝統的な酒造技術の資料を展示し、「南部杜氏の里」としてアピールしていた。
沿革
[編集]- 慶長年間、花巻と郡山の間に人家がなく往来に不便であったため、町屋を建てたのが創始である。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、好地村・大瀬川村・松林寺村・大興寺村・北寺林村・富沢村・長谷堂村の計7か村が合併して新制の好地村(こうちむら)が発足。
- 昭和3年(1928年)10月1日 - 町制施行し、石鳥谷町となる。
- 昭和30年(1955年)4月1日 - 新堀村・八幡村・八重畑村と合併し、新制の石鳥谷町が発足。
- 平成18年(2006年)1月1日 - 大迫町および和賀郡東和町と共に花巻市と合併し、新制の花巻市の一部となる。
行政
[編集]- 最後の町長:高橋公男(たかはし きみお)2003年2月22日就任。
- 歴代好地村長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 後藤直助 | 不詳 | 不詳 | |
2 | 淵沢節郎 | 不詳 | 不詳 | |
3 | 板垣馬之丈 | 明治38年(1905年)8月23日 | 明治42年(1909年)8月17日 | |
4 | 高橋久治 | 明治42年(1909年)8月18日 | 大正10年(1921年)3月31日 | |
5 | 佐々木賢蔵 | 大正10年(1921年)7月9日 | 大正14年(1925年)7月8日 | |
6 | 柳原一郎 | 大正14年(1925年)7月16日 | 昭和3年(1928年)3月31日 |
- 歴代石鳥谷町長
- 昭和の合併以前
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 柳原一郎 | 昭和3年(1928年)4月1日 | 昭和4年(1929年)7月15日 | 村長より留任 |
2 | 藤原脩二 | 昭和4年(1929年)7月22日 | 昭和8年(1933年)7月21日 | |
3 | 八重樫寅蔵 | 昭和8年(1933年)8月9日 | 昭和10年(1935年)3月9日 | |
4 | 関庄三郎 | 昭和10年(1935年)3月10日 | 昭和16年(1941年)1月22日 | |
5 | 藤原脩二 | 昭和16年(1941年)1月10日 | 昭和17年(1942年)5月15日 | 再任 |
6 | 玉山景三 | 昭和17年(1942年)9月15日 | 昭和21年(1946年)11月22日 | |
7 | 藤原文三 | 昭和22年(1947年)4月6日 | 昭和30年(1955年)3月31日 |
- 昭和の合併以後
初代 - 大森新陸
姉妹都市
[編集]海外
[編集]交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 3 岩手県』角川書店、1985年。ISBN 4040010302。
関連文献
[編集]- 大森勝雄「地方自治体 (石鳥谷町) と南部杜氏」『日本醸造協会誌』第87巻第6号、日本醸造協会、1992年、402-408頁、doi:10.6013/jbrewsocjapan1988.87.402。