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如源(にょげん、貞元2年(977年) - 治安元年4月18日(1021年6月1日))は平安時代中期の天台宗の僧。太政大臣・藤原公季の子で、母は兵部卿・有明親王の娘。三昧房と号す。
延暦寺に入り、天台座主・明救の弟子となる。長保4年(1002年)に参議・藤原行成を訪ね、法を問われている[1]。長保6年(1004年)5月27日[2]に明救の譲りで権律師に任ぜられた[3]。寛弘8年(1011年)4月27日には権少僧都に進み[3]、寛仁元年12月18日(1018年1月14日)には少僧都を務めた[3]。治安元年(1021年)4月18日入滅。