都城市立妻ケ丘中学校
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都城市立妻ケ丘中学校 | |
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北緯31度43分36.9秒 東経131度4分28.0秒 / 北緯31.726917度 東経131.074444度座標: 北緯31度43分36.9秒 東経131度4分28.0秒 / 北緯31.726917度 東経131.074444度 | |
過去の名称 | 都城市立東中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 都城市 |
校訓 | 立志研鑽の精神 |
設立年月日 | 1947年(昭和22年)5月8日 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C145220243047 |
所在地 | 〒885-0033 |
宮崎県都城市妻ヶ丘町13街区3 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
都城市立妻ケ丘中学校(みやこのじょうしりつ つまがおかちゅうがっこう)は、宮崎県都城市妻ヶ丘町にある公立中学校。通称は「妻中」(つまちゅう)。
なお、上記で述べたように本校の通称は「妻中」(つまちゅう)であるが、同県西都市に位置する西都市立妻中学校も同じく「妻中」(つまちゅう)と呼ばれるため、混同しないように注意が必要である。
概要
[編集]- 歴史
- 1947年(昭和22年)の学制改革の際に新制中学校「都城市立東中学校」として開校。現校名となったのは1949年(昭和24年)。2012年(平成24年)に創立65周年を迎えた。
- 校訓
- 「立志研鑽の精神」
- 校章
この節の加筆が望まれています。 |
- 校歌
- 作詞は富末良夫、作曲は高嶋巌による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「妻ケ丘」が登場する。
- 校区
沿革
[編集]- 1947年(昭和22年)
- 1949年(昭和24年)
- 4月11日 - 校区改定により蔵原・早鈴・上東・一万城・上長飯の6地区を校区とする。宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校の中校舎(元・宮崎県立都城商業学校校舎)に移転。
- 4月15日 - 「都城市立妻ケ丘中学校」(現校名)に改称。
- 1955年(昭和30年)11月 - 家庭科教室が完成。
- 1956年(昭和31年)7月 - 宮崎県都城教科書センターが設置される[2]。
- 1957年(昭和32年)3月 - 校旗を制定。
- 1961年(昭和36年)4月 - 生徒の急増により木造2階建ての新校舎が完成。
- 1962年(昭和37年)から1966年(昭和41年)にかけて鉄筋コンクリート造の校舎が増築される。
- 1964年(昭和39年)1月 - 技術科教室が完成。
- 1967年(昭和42年)
- 3月 - 体育館が完成。
- 10月 - 購買部が完成。
- 1970年(昭和45年)7月 - プールが完成。
- 1972年(昭和47年)4月 - 校舎を増築。
- 1973年(昭和48年)4月 - 特殊学級を設置。
- 1980年(昭和55年)3月 - 3階建ての特別教室が完成。
- 1983年(昭和58年)3月 - 4階建ての特別教室が完成。
- 1987年(昭和62年)3月 - 校旗を新調。
- 1988年(昭和63年)
- 1991年(平成3年)3月 - 新体育館が完成。
- 1996年(平成8年)6月 - 新校舎建設の開始によりプレハブ校舎での授業を開始。
- 1997年(平成9年)2月 - 新校舎(北校舎)が完成。
- 1998年(平成10年)8月 - 運動場の改修工事が完了。
- 2005年(平成17年)4月 - ニューヨーク芸術家国際交流事業を実施。
- 2012年(平成24年)6月 - 耐震補強工事が完成。エレベーターを新設。
著名な出身者
[編集]- 東国原英夫(そのまんま東) - 政治評論家、タレント、元政治家、第17代宮崎県知事、元衆議院議員(1期)
- 井ノ上正盛 - イラクで銃撃され殉職した外交官
- 戸田光洋 - 元プロサッカー選手
- 戸田賢良 - 元プロサッカー選手
- 矢野美子 - バレーボール(プレミアリーグ)選手
- 吉田セイラ - モデル 主婦の友社「S Cawaii!」専属モデル
- 戸郷翔征 - プロ野球選手(読売ジャイアンツ・投手)
交通
[編集]- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
- 宮崎交通 「妻ヶ丘」バス停
周辺
[編集]参考資料
[編集]- 「都城市史」(1954年(昭和29年)出版, 都城市)