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孔叢子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

孔叢子』(くぞうし[1][2]、こうそうし[2][3][4][5])は、古代中国儒家の書物。秦漢から魏晋の間頃に成立した。全23篇。

内容

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特殊な構成をしており、三つの書物が合体したような構成をしている。

  1. 第1~10篇と第12~21篇 - 『孔叢子』の本体[6]孔子とその子孫の孔伋(子思)・孔白中国語版(子上)・孔穿(子高)・孔斌(子順)・孔鮒(子魚)・孔騰中国語版(子襄)らの処世や政策を伝える。
  2. 第11篇 - 『小爾雅』篇[6]
  3. 第22・23篇 - 『連叢子』上下篇。『孔叢子』の付録[6]孔臧中国語版に帰されると書からなる[1]。主に前後漢代の孔氏一族の動向を伝える[6]

『孔叢子』本体の思想としては、雑多な思想が扱われるが、主に先秦以来の「明徳慎罰」「尚賢」説や、漢代の経学を背景とした「三統改制」説が扱われる[7]。また、名家公孫龍が登場する公孫龍篇や、墨子を非難する詰墨篇も注目に値する[1]

成立・伝来・注釈書

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作者や成立年代については古くから諸説ある。名目上は、末の陳勝の博士だった孔鮒が作者である[8]。しかしながら、清初の臧琳、清末の皮錫瑞伊東倫厚は、『孔子家語』等の偽作者でもある王粛の作とする[9]。一方で、南宋朱熹は『朱子語類』125巻において後漢の作であるとする[8]胡応麟は後漢の孔僖中国語版の子の孔季彦の輩が集成したものとし、初の姚際恒は後述の北宋宋咸の作とする[2]。現代ではそのほか、後漢末の荊州学において作られたとする説、秦代から後漢にかけて累層的に作られたとする説がある[10]

目録学においては、『漢書芸文志には『孔叢子』が載っていないものの[1]小爾雅』一篇が載っている。『隋書経籍志には『孔叢』七巻と『小爾雅』一巻が載っている[11]

注釈書として、北宋宋咸『孔叢子注』[12]、清の姜兆錫中国語版『孔叢子正義』[13]江戸時代冢田大峯『冢註孔叢子』[14]がある。

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b c d 伊東倫厚・小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)『孔叢子』 - コトバンク
  2. ^ a b c 「「孔叢子」という話が載っている資料が知りたい。(新潟県立図書館)」 - レファレンス協同データベース(『中国学芸大事典』近藤春雄著、大修館書店、1988年)
  3. ^ 蜂屋茂橘|東京都立図書館”. 東京都立図書館. 2022年1月4日閲覧。
  4. ^ 南方熊楠『十二支考』上、岩波文庫、1994年。97頁
  5. ^ 森鷗外渋江抽斎』岩波文庫、1999年。196頁
  6. ^ a b c d 南部 1994, p. 19.
  7. ^ 南部 1994, p. 27-34.
  8. ^ a b 朱子語類 : 陸氏 : 莊子 : 老莊 - 中國哲學書電子化計劃” (中国語). ctext.org. 2021年3月18日閲覧。
  9. ^ 伊東 1992, p. 192f.
  10. ^ 南部 1994, p. 20.
  11. ^ ウィキソースのロゴ 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:隋書/卷32
  12. ^ 孔叢子 7巻 | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ”. rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp. 2021年3月18日閲覧。
  13. ^ 全國漢籍データベース 四庫提要”. kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp. 2022年1月7日閲覧。
  14. ^ 谷口孝介 解題「古文尚書」『日本人のよんだ漢籍―貴重書と和刻本と―(平成23年度筑波大学附属図書館特別展図録)』筑波大学附属図書館、2011年。12頁

関連文献

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  • 伊東倫厚「孔安国に至るまでの孔氏の家系ー「孔子家語」後序と「孔叢子」と「尚書」序と」『日本中国学会創立五十年記念論文集』汲古書院、1998年。ISBN 9784762926204 
  • 成田衡夫『孔叢子と先秦思想』1932年、NDLJP:1027008
  • 南部英彦「『孔叢子』の研究 その成書の年代と作者を考える」『集刊東洋学』第72号、東北大学中国文史哲研究会、1994年。 NAID 110000228039 
  • 湯浅邦弘編 『中国思想基本用語集』ミネルヴァ書房、2020年。ISBN 9784623087365。112頁「孔叢子」

外部リンク

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