孔叢子
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『孔叢子』(くぞうし[1][2]、こうそうし[2][3][4][5])は、古代中国の儒家の書物。秦漢から魏晋の間頃に成立した。全23篇。
内容
[編集]特殊な構成をしており、三つの書物が合体したような構成をしている。
- 第1~10篇と第12~21篇 - 『孔叢子』の本体[6]。孔子とその子孫の孔伋(子思)・孔白(子上)・孔穿(子高)・孔斌(子順)・孔鮒(子魚)・孔騰(子襄)らの処世や政策を伝える。
- 第11篇 - 『小爾雅』篇[6]。
- 第22・23篇 - 『連叢子』上下篇。『孔叢子』の付録[6]。孔臧に帰される賦と書からなる[1]。主に前後漢代の孔氏一族の動向を伝える[6]。
『孔叢子』本体の思想としては、雑多な思想が扱われるが、主に先秦以来の「明徳慎罰」「尚賢」説や、漢代の経学を背景とした「三統改制」説が扱われる[7]。また、名家の公孫龍が登場する公孫龍篇や、墨子を非難する詰墨篇も注目に値する[1]。
成立・伝来・注釈書
[編集]作者や成立年代については古くから諸説ある。名目上は、秦末の陳勝の博士だった孔鮒が作者である[8]。しかしながら、清初の臧琳、清末の皮錫瑞、伊東倫厚は、『孔子家語』等の偽作者でもある魏の王粛の作とする[9]。一方で、南宋の朱熹は『朱子語類』125巻において後漢の作であるとする[8]。明の胡応麟は後漢の孔僖の子の孔季彦の輩が集成したものとし、清初の姚際恒は後述の北宋の宋咸の作とする[2]。現代ではそのほか、後漢末の荊州学において作られたとする説、秦代から後漢にかけて累層的に作られたとする説がある[10]。
目録学においては、『漢書』芸文志には『孔叢子』が載っていないものの[1]『小爾雅』一篇が載っている。『隋書』経籍志には『孔叢』七巻と『小爾雅』一巻が載っている[11]。
注釈書として、北宋の宋咸『孔叢子注』[12]、清の姜兆錫『孔叢子正義』[13]、江戸時代の冢田大峯『冢註孔叢子』[14]がある。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 伊東倫厚・小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)『孔叢子』 - コトバンク
- ^ a b c 「「孔叢子」という話が載っている資料が知りたい。(新潟県立図書館)」 - レファレンス協同データベース(『中国学芸大事典』近藤春雄著、大修館書店、1988年)
- ^ “蜂屋茂橘|東京都立図書館”. 東京都立図書館. 2022年1月4日閲覧。
- ^ 南方熊楠『十二支考』上、岩波文庫、1994年。97頁
- ^ 森鷗外 『渋江抽斎』岩波文庫、1999年。196頁
- ^ a b c d 南部 1994, p. 19.
- ^ 南部 1994, p. 27-34.
- ^ a b “朱子語類 : 陸氏 : 莊子 : 老莊 - 中國哲學書電子化計劃” (中国語). ctext.org. 2021年3月18日閲覧。
- ^ 伊東 1992, p. 192f.
- ^ 南部 1994, p. 20.
- ^ 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:隋書/卷32
- ^ “孔叢子 7巻 | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ”. rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp. 2021年3月18日閲覧。
- ^ “全國漢籍データベース 四庫提要”. kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp. 2022年1月7日閲覧。
- ^ 谷口孝介 解題「古文尚書」『日本人のよんだ漢籍―貴重書と和刻本と―(平成23年度筑波大学附属図書館特別展図録)』筑波大学附属図書館、2011年。12頁
関連文献
[編集]- 伊東倫厚「孔安国に至るまでの孔氏の家系ー「孔子家語」後序と「孔叢子」と「尚書」序と」『日本中国学会創立五十年記念論文集』汲古書院、1998年。ISBN 9784762926204。
- 成田衡夫『孔叢子と先秦思想』1932年、NDLJP:1027008
- 南部英彦「『孔叢子』の研究 その成書の年代と作者を考える」『集刊東洋学』第72号、東北大学中国文史哲研究会、1994年。 NAID 110000228039。
- 湯浅邦弘編 『中国思想基本用語集』ミネルヴァ書房、2020年。ISBN 9784623087365。112頁「孔叢子」
外部リンク
[編集]- 孔叢子 - 中国哲学書電子化計画
- 全國漢籍データベース 四庫提要 孔叢子 - 京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター
- 伊東倫厚・小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)『孔叢子』 - コトバンク
- 「「孔叢子」という話が載っている資料が知りたい。(新潟県立図書館)」 - レファレンス協同データベース