宇戸村 (鳥取県)
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うどそん 宇戸村 | |
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廃止日 | 1917年10月1日 |
廃止理由 |
新設合併 佐貫村、宇戸村 → 散岐村 |
現在の自治体 | 鳥取市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 八頭郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
984人 ([1]、1916年) |
隣接自治体 | 佐貫村、八上村、西郷村、佐治村、大村 |
宇戸村役場 | |
所在地 |
鳥取県八頭郡佐貫村大字佐貫 (佐貫村宇戸村組合役場) |
座標 | 北緯35度22分18秒 東経134度11分00秒 / 北緯35.37179度 東経134.18342度座標: 北緯35度22分18秒 東経134度11分00秒 / 北緯35.37179度 東経134.18342度 |
特記事項 | 座標は現在の水根公会堂位置 |
ウィキプロジェクト |
宇戸村(うどそん)は、鳥取県八頭郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは八上郡に属した。
概要
[編集]現在の鳥取市河原町水根・河原町山上・河原町小倉に相当する。千代川支流の宇戸川流域に位置した。
村名の由来である宇戸川は因幡志によると独活川とあり、ウドが名産であったことから川の名になったとされる。また「ウト」(ウド)が渓谷の意で当地の地形に由来するとする説もある[1][2]。
藩政時代には鳥取藩領の八上郡散岐郷(さぬきのごう)に属する水根村・山上村・小倉村があった[3]。
沿革
[編集]- 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
- 1883年(明治16年)3月 - 曳田村(後の曳田村→八上村大字曳田)に置かれた連合戸長役場の管轄区域となる[4]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、水根村・山上村・小倉村が合併して村制施行し、八上郡宇戸村が発足。旧村名を継承した3大字を編成。佐貫村との組合役場を同村大字佐貫村に設置[3][5]。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、八上郡・八東郡・智頭郡の区域をもって八頭郡が発足し、八頭郡宇戸村となる。
- 1915年(大正4年)1月1日 - 「宇戸村大字◯◯村」から大字の「村」を削除し、「宇戸村大字◯◯」と改称[6]。
- 1917年(大正6年)10月1日 - 佐貫村と合併して散岐村が発足。同日宇戸村廃止[7]。
教育
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 角川日本地名大辞典 鳥取県「宇戸村(近代)」
- ^ 鳥取県の地名由来語源参考 : 平成の地名(森納、2009年)
- ^ a b c 河原町誌(河原町誌編集委員会、1986年)
- ^ 府県管轄区域郡区町村名集覧(樋口文治郎、1888年)
- ^ 鳥取県改正市町村名及役場区域 明治22年10月改正(横山敬次郎、1889年)
- ^ 「大字名改称」『官報』1914年11月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「町村廃置」『官報』1917年10月3日(国立国会図書館デジタルコレクション)