安久町
表示
安久町 | |
---|---|
金御岳より望む都城市街地 左側は高千穂峰 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 宮崎県 |
市町村 | 都城市 |
地区 | 中郷地区[1] |
人口 | |
• 合計 | 3,827人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
885-0044[2] |
市外局番 | 0986(都城MA)[3] |
ナンバープレート | 宮崎 |
安久町(やすひさちょう)は、宮崎県都城市の町丁。郵便番号は885-0044[2]。人口は3,827人、世帯数は1,561世帯である[1]。
地理
[編集]市の南部に位置し、日南市(東部)、梅北町(西部)、鹿児島県曽於市末吉町(南部)、串間市(南東部)、上長飯町(北部)、豊満町・三股町(北東部)、下長飯町(北西部)と隣接する。
河川
[編集]- 安久川
- 萩原川
- 鍋の谷川
- 安楽川
歴史
[編集]中世
[編集]日向國諸縣郡に属し、地名は南北朝期の名田名に因む。応安(1375年)8年3月23日の島津氏久書状によれば、氏久は日向国の富山彦五郎義弘が「島津御庄日向方中郷富山・安久名・和里木名・同秋永等」を相伝していることを主張し、室町幕府の安堵を求めたため、斎藤六郎左衛門入道を通してその推挙を求めている。
近世
[編集]江戸時代は薩摩藩都城島津氏私領地。都城郷(外城)に属す。「三国名勝図会」によれば、寺社は、鶴岡八幡宮、医王山知足院正応寺がある。鶴岡八幡宮は文明17年(1485年)出水城主島津国久の発起で、北郷義久・島津忠廉とともに勧請したものと伝わる。
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]バス
[編集]学区
[編集]施設
[編集]- 中郷地区公民館
- 都城市立安久小学校
- 中郷郵便局
- 都城警察署中郷駐在所
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]- 金御岳
- 安久温泉
- 興玉神社
- 尾平野洞窟
- 薩摩藩 石原番所跡
- 六ヶ城跡
- 古城跡
- 池平城跡
- 正応寺跡
- 堀之内御所跡
- 安久節
- 正応寺大太鼓踊
人口
[編集]都城市ホームページによると、2023年(令和5年)9月1日時点での域内の人口は以下の通りである[1]。
世帯数 | 男 | 女 | 計 |
---|---|---|---|
1,561世帯 | 1,771人 | 2,056人 | 3,827人 |
沿革
[編集]- 明治4年(1871年) ― 廃藩置県により、当初は鹿児島県の管轄となり、後に都城県へ移管される。
- 明治6年(1873年) ― 宮崎県(第1次)の管轄となる。
- 明治9年(1876年) ― 第2次府県統合により鹿児島県の管轄となる。
- 明治16年(1883年) ― 宮崎県(第2次)の管轄となり、同年発足の北諸県郡に属す。
- 明治17年(1884年) ― 安久・豊満・梅北の3ヵ村が連合して上安久に戸長役場を置く。
- 明治22年(1889年) ― 町村制の施行により、中郷村が発足し同村の大字となる。中郷村役場を当地に設置。
- 昭和42年(1967年) ― 中郷村が都城市に編入。以後、中郷地区安久町となる。
地域
[編集]中郷地区安久町
[編集]- 上安久
- 下安久
- 一本杉
- 藤田
- 後久
- 高野原
- 長谷谷
- 正応寺
- 北條
- 建立寺
- 湯之元
- 笠岩
- 鹿ノ川内
- 石原
- 中原
- 鍋谷
- 猪之谷
- 御所谷
- 尾平野
- 内木谷
参考文献
[編集]脚注
[編集]下長飯町 | 上長飯町 | 豊満町・三股町 | ||
梅北町 | 日南市 | |||
安久町 | ||||
鹿児島県曽於市末吉町南之郷 | 串間市 |