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安倍宗貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
安倍宗貞
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 天正10年3月11日1582年4月3日
別名 五郎左衛門尉[1]
官位 加賀守[1]
主君 甲斐武田氏
氏族 安倍氏
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安倍 宗貞(あべ むねさだ)は、戦国時代武将

経歴・人物

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武田信玄に仕え、永禄5年(1562年武田勝頼信濃高遠城主となると、宗貞は勝頼の近臣となった[1]。天正7年(1579年春日信達に代わり信濃川中島城代となり周辺4郡の支配を担当する[1]。天正9年(1581年)12月、甲斐に戻り、勝頼の奉行衆となる[1]。天正10年(1582年)3月、織田信長甲州征伐で最後まで勝頼に従い、田野にて自刃し勝頼に殉じた[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 柴辻俊六平山優『武田勝頼のすべて』新人物往来社、p.219 (2007)