安倍広賢
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時代 | 平安時代後期 |
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生誕 | 嘉承2年(1107年) |
死没 | 応保2年(1162年) |
官位 | 従四位上・図書頭 |
主君 | 崇徳天皇→近衛天皇→後白河天皇→二条天皇 |
氏族 | 安倍氏 |
父母 | 父:安倍宗明 |
兄弟 | 晴仁、広賢、信弁 |
子 | 信業、隆茂、広基、舜賢、藤原成光室 |
安倍 広賢(あべ の ひろかた)は、平安時代後期の貴族・陰陽師。権天文博士・安倍宗明の子。官位は従四位上・図書頭。
経歴
[編集]天治元年(1124年)に天文博士に任ぜられる。康治2年(1143年)図書頭の官職にあった[1]。
天文道の分野で卓越した才能を発揮し、その子孫は代々天文密奏宣旨を受けて天文博士となり、安倍氏「宗明流」の事実上の祖となった。広賢は子・信業と共に天文異変の相論を起こして怪死した。
陰陽師安倍氏の嫡流家当主の安倍泰親は九条兼実に対して広賢・信業親子が怪死を遂げたのは、彼らが天文の解釈を誤って相論を行ったからだと非難[2]しており、この事が反対に嫡流家側の宗明流に対する危機感を窺わせる。
系譜
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- 赤澤春彦「鎌倉期における安倍氏の展開」(所収:『鎌倉期官人陰陽師の研究』(吉川弘文館、2011年) ISBN 978-4-642-02893-6 (原論文2008年)
- 佐藤均「安倍広賢」(『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-04-031700-7)