コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

安宅安五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

安宅 安五郎(あたか やすごろう、1883年明治16年〉4月23日 - 1960年昭和35年〉9月1日)は、日本の洋画家東京美術学校藤島武二に師事。在学中に文部省美術展に入選し作品「靴屋」文部省買上。また大正8年に改組した第一回帝展で特選、続いて第二回帝展で特選となる。その後帝展、文展の審査員を度々務める。洋画だけでなく日本画も描く。

経歴

[編集]
  • 明治16年(1883年) 新潟市東堀通に四男として生まれる。
  • 東京美術学校(現東京藝術大学)西洋画科入学。藤島武二に師事。在学中に文展に「靴屋」出品、文部省買上げ。
  • 明治43年(1910年) 東京美術学校卒業
  • 大正8年(1919年) 第一回帝展「白蓮樹」特選
  • 大正9年(1920年) 第二回帝展「砂丘に立つ子供」特選
  • 大正10年(1921年) 相馬其一と渡欧
  • 大正11年(1922年) 第4回帝展特選
  • 大正13年(1924年) 推薦
  • 大正15年(1925年)帝展委員任命
  • 昭和2年(1927年) 帝展審査員任命
  • 明治神宮外苑の聖徳記念絵画館に「教育勅語下賜」
  • 昭和4年(1929年)・6年(1931年)・7年(1932年) 帝展審査員任命
  • 昭和6年(1931年) 「浜の娘」政府買上
  • 昭和11年(1936年) 文展審査員任命
  • 昭和12年(1937年) 大阪毎日新聞主催総合展に銀賞受賞
  • 以後官展の審査員任命
  • 昭和17年(1942年) 第5回文展に「秋草」出品文部省買上
  • 昭和32年(1957年) 中国に文化使節として招待を受け訪問
  • 昭和35年(1960年) 9月1日パーキンソン病により没[1]。77歳

親族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 安宅安五郎独立行政法人 国立文化財機構 東京文化財研究所、2015年12月14日
  2. ^ a b c d e 安宅安五郎『人事興信録. 第14版 上』(人事興信所, 1943)
  3. ^ 中山修一「富本憲吉と一枝の家族の政治学(2)」『表現文化研究』第8巻第2号、神戸大学表現文化研究会、2009年3月24日、159-200頁、doi:10.24546/81002899hdl:20.500.14094/81002899ISSN 13468103 
  4. ^ 大津山国夫『『武者小路実篤研究 実篤と新しき村』』明治書院、1997年10月、335頁。