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安宅乕雄

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安宅虎雄から転送)

安宅 乕雄(あたか とらお、1902年明治35年〉3月31日 - 1989年平成元年〉11月12日)は、日本洋画家

略歴

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新潟県新潟市東堀通9番町(現 新潟市中央区東堀通9番町)の資産家・安宅安太郎の次男として出生[1][2][3][注 1]

1920年大正9年)3月に新潟中学校を卒業、1922年(大正11年)に独学で画家を志す[1][2][4][5][6][7][8][注 2]

1926年(大正15年)の第7回帝展で『風景』が初入選[2][4][5][6][7][9]1928年昭和3年)に義兄(姉の夫)の大久保賢治郎[注 3][注 4]の支援によりヨーロッパに渡って各国の美術を研究、1931年(昭和6年)に帰国[1][2][3][4][7][8][9][11]

1936年(昭和11年)に二科会会友になるが、1939年(昭和14年)に二科会を退会、1940年(昭和15年)に一水会会員になり、1946年(昭和21年)に一水会委員に就任、1949年(昭和24年)に一水会運営委員に就任[1][4][5][6][7][9]

1961年(昭和36年)に日展審査員を務め、1962年(昭和37年)に日展会員になり、1968年(昭和43年)に日展評議員に就任、1978年(昭和53年)に日展参与に就任[1][4][6][7][11][12][13]

1989年平成元年)11月12日午前3時5分に横浜市港南区芹が谷の南横浜病院心筋梗塞のため死去、葬儀・告別式は鎌倉市浄明寺の自宅で執り行われた[14]

硲伊之助安井曾太郎アンリ・マティスに影響を受け[2][8]、明るく純度の高い色彩と簡素平明な画面構成で人物、静物、風景を描いた[2]

親族・親戚

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友人

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画集

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  • 『安宅乕雄 女性を描く展』新潟県美術博物館、1980年。
  • 『安宅乕雄展 画業65年記念』東京椎野商事、1985年。

脚注

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注釈

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  1. ^ 安宅乕雄が幼少の頃に父の安宅安太郎は亡くなり、成人する頃には第一次世界大戦後の戦後恐慌により安宅家の家運は傾いていた[2]
  2. ^ 安宅乕雄の叔父(父の弟)の洋画家安宅安五郎が中央画壇で活躍していたが[2]、安宅乕雄は安宅安五郎に絵を習っていない[8]
  3. ^ 安宅乕雄は義兄(姉の夫)の大久保賢治郎について、「父にも勝る愛情を注いでくれた」と述べている[10]
  4. ^ 安宅乕雄は1944年昭和19年)に新潟県西蒲原郡巻町大字五ヶ浜(現 新潟市西蒲区五ヶ浜)の大久保家に疎開した[1]

出典

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参考文献

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  • 『安宅乕雄展 画業65年記念』安宅乕雄[画]、東京椎野商事、1985年。
  • 『安宅乕雄 女性を描く展』安宅乕雄[画]、新潟県美術博物館、1980年。
  • 「安宅乕雄」『美術家人名事典 古今・日本の物故画家3500人』16頁、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、2009年。
  • 安宅乕雄」『20世紀 日本人名事典 あ〜せ』73頁、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、2004年。
  • 安宅乕雄」『日本人名大辞典』54頁、上田正昭西澤潤一平山郁夫三浦朱門[監修]、講談社、2001年。
  • 「安宅乕雄」『第廿三版 人事興信錄 上』「あ」1頁、人事興信所[編]、人事興信所、1966年。
  • 「安宅乕雄」『20世紀 物故洋画家事典』14頁、岩瀬行雄・油井一人[編]、美術年鑑社〈AA叢書 5〉、1997年。
  • 「安宅乕雄」『市制100周年記念 新潟の絵画100年展』133頁、新潟市美術館[編]、新潟市美術館、1989年。
  • 「安宅乕雄」『新潟市美術館 全所蔵作品図録 絵画編』106-107頁、新潟市美術館[編]、新潟市美術館、2006年。
  • 「安宅乕雄」『新潟日報社所蔵品による ふるさとの作家たち展』57頁、新潟市新津美術館[編]、新潟市新津美術館、2014年。
  • 「安宅乕雄」『新潟県美術展覧会50回展記念 新潟県美術名鑑』69-70頁、新潟日報事業社[編]、新潟日報社、1995年。
  • 「安宅乕雄」『新潟の美術 近代絵画・版画・彫刻の系譜』190頁、毎日新聞社[編]、毎日新聞社、1981年。
  • 「安宅乕雄」『越佐書画名鑑』117-118頁、荒木常能[編]、新潟県美術商組合、1993年。
  • 「安宅乕雄」『越佐書画名鑑 第二版』160-161頁、荒木常能[編]、新潟県美術商組合、2002年。
  • 「安宅乕雄氏」『新潟日報』1989年11月14日付朝刊、23面、新潟日報社、1989年。
  • 「父安宅乕雄儀」『朝日𣂺聞』1989年11月15日付朝刊、31面、朝日新聞社、1989年。

外部リンク

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