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安田愉逸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

安田 愉逸(やすだ ゆいつ、1853年嘉永6年11月[1])- 1904年明治37年)8月23日[1])は、明治時代の政治家衆議院議員(2期)。

経歴

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日向国諸県郡、のちの宮崎県北諸県郡都城町(現都城市)出身[2]。農業を営んだ[1]1878年(明治11年)英国の測量船「シルビア[注 1]」が日本近海にて測量をした際、これに従う[2]。その数年後、鹿児島県の山鹿野鉱山[注 2]嘱託となり、1886年(明治19年)長崎県属に転じ、外交事務に従事する[2]1889年(明治22年)オーストリアの皇族ハンリート・バルジー来朝の際は通訳として随行し全国を巡遊した[1]。ほか、教師、造兵局通訳官、外務省訳官などを歴任した[1]

1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では宮崎県第2区から無所属で出馬し当選[1]第3回総選挙でも当選し衆議院議員を通算2期務めた[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 1866年竣工の船。
  2. ^ 山ヶ野金山か。

出典

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  1. ^ a b c d e f g 衆議院、参議院 編 1962, 522頁.
  2. ^ a b c 木戸 1890, 317頁.

参考文献

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