安藤定殻
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝永5年(1708年) |
死没 | 寛延2年7月10日(1749年8月22日) |
別名 | 岩之丞、大膳、治右衛門(通称)、鶯渓、翼々庵/斎(号)、定穀 |
墓所 | 早稲田の龍善寺 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川吉宗、家重 |
氏族 | 阿久和安藤家 |
父母 | 安藤定房、大久保忠兼娘 |
兄弟 |
大久保忠根室、定殻、大久保忠郷室、 中坊秀亨ら |
妻 | 土井利良娘 |
子 | 水野元丈室、正甫 |
安藤 定殻(あんどう さだみ/さだよし)は、江戸時代中期の旗本・茶人。『寛政重修諸家譜』は諱を定穀としている。通称は岩之丞、大膳、治右衛門。号は鶯渓、翼々庵(斎)。阿久和安藤家6代。
略歴
[編集]安藤定房の子として誕生。父・定房と共に茶道南坊流の笠原道桂に師事した。寛保3年(1743年)に父が没し家督を継ぐが、父の最晩年に起きた圧政による農民の駕籠訴事件で蟄居となった。延享元年(1744年)3月11日田原藩4代藩主・三宅康高に南坊録を書写させた。
寛延2年(1749年)、43歳で没した。墓所は早稲田・龍善寺。
系譜
[編集]参考文献
[編集]- 日本人名大辞典(講談社)
- 定房' わがまち瀬谷第30号(平成22年7月発行)
- 寛政重修諸家譜第17