安藤正甫
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保17年(1732年) |
死没 | 寛政2年9月19日(1790年10月26日) |
改名 | 定寿、正甫 |
別名 | 岩之丞、次(治)右衛門(通称)、二橋観、二橋庵(号) |
墓所 | 早稲田の龍善寺 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家重、家治、家斉 |
氏族 | 阿久和安藤家 |
父母 | 安藤定殻 |
妻 | 中坊秀亨娘 |
子 | 正武 |
安藤 正甫(あんどう まさよし)は、江戸時代中期の旗本・茶人。通称は岩之丞、次(治)右衛門。号は二橋観、二橋庵。阿久和安藤家7代。
略歴
[編集]安藤定殻の子として誕生。初名を定寿。
寛延2年(1749年)、父が没し家督を継ぐ。宝暦13年(1763年)、武蔵国入間郡内の領地を下総国香取郡内に移される。明和5年(1768年)に小姓組番士、安永8年(1779年)使番となり、布衣を許された。天明8年(1788年)職を辞して寄合となった。田原藩4代藩主・三宅康高に南坊流茶法を学んだ。
寛政2年(1790年)59歳で没した。墓所は早稲田・龍善寺。
系譜
[編集]参考文献
[編集]- 日本人名大辞典(講談社)
- 定房' わがまち瀬谷第30号(平成22年7月発行)
- 寛政重修諸家譜第17