コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

安達ヶ橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
安達ヶ橋
基本情報
日本の旗 日本
所在地 福島県二本松市
交差物件 阿武隈川
路線名 福島県道62号原町二本松線
竣工 1980年
座標 北緯37度35分40.1秒 東経140度27分39.6秒 / 北緯37.594472度 東経140.461000度 / 37.594472; 140.461000座標: 北緯37度35分40.1秒 東経140度27分39.6秒 / 北緯37.594472度 東経140.461000度 / 37.594472; 140.461000
構造諸元
形式 8径間連続鋼箱桁橋
全長 341.9m
12.3m(有効幅員11.5m。車道部7.0m、歩道部2.0m×2)
最大支間長 58.2m
地図
安達ヶ橋の位置(福島県内)
安達ヶ橋
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
テンプレートを表示
福島県道62号標識

安達ヶ橋(あだちがばし)は、福島県二本松市にあるの阿武隈川に架かる福島県道62号原町二本松線道路橋である。

概要

[編集]
  • 全長 - 341.9 m
    • 最大支間長 - 58.2 m
  • 幅員 - 12.3 m(有効幅員11.5 m。車道部7.0 m、歩道部2.0 m×2)
  • 形式 - 8径間連続鋼箱桁橋
  • 竣工 - 1980年[1]

東詰は安達ヶ原4丁目に、西詰は油井字蓑掛、字天皇館腰に位置する。現在掛かる橋は1980年に架けられた全長341.9 mの鋼箱桁橋であり、一級河川阿武隈川を渡り、隣接する安達ヶ橋跨線橋にて西側に並行するJR東北本線国道4号を渡る。立体交差する国道4号とはループ状の取付道路を経て、橋南側の安達ヶ原入口交差点で接続する。第4径間には阿武隈川と東北本線に挟まれた供中口古戦場周辺の土地へ向かうためのスロープが取り付けられており、橋梁間に丁字路がある構造になっている。橋名の由来は橋の東側に広がる鬼婆伝説で有名な安達ヶ原にちなむ。

沿革

[編集]

当地近辺にはかつてから「供中の渡し」と呼ばれていた渡し場があり、松尾芭蕉安達ヶ原の黒塚に向かう際に利用したと言われている。1872年、地元の春山楽ら有志7名は、渡し舟だった供中の渡しに私財を投じ、木橋を架け渡橋料を徴収した。明治26年7月、正岡子規が黒塚を訪ねたときの紀行文「はて知らずの記」に「阿武隈川の橋本に茶屋あり。こゝにやすらへばあるじの翁年は七十にもや及びつらん 茶など汲みて心ろよくもてなす」と記している。1900年9月に全長91 m、幅員2.7 mの木橋が架けられ供中橋(ぐちゅうはし)と名付けられた[2]。以後、1908年11月(全長113 m、幅員2.7 m)[3]1911年9月(全長87 m、幅員3.6 m)[4]1915年3月(全長98 m、幅員3.6 m)[5]と度々木橋の流出と架替を繰り返しており、1949年に流出した翌年[6]、安達ヶ橋と新たに名付けられ永久橋が建設された。全長133.3 m、主径間28 m、幅員5.5 mの5径間ゲルバー鈑桁橋であり、上部工の施工は三菱重工業横浜造船所が担当した[7]。その後、東北本線踏切の立体化や国道4号福島南バイパス二本松バイパスの建設と道路改良が進んできたことから1980年[6]に現在の橋梁に架け替えられた。

周辺

[編集]

隣の橋

[編集]

(上流側)舟形橋 - 高田橋 - 安達ヶ橋 - 東北新幹線第5阿武隈川橋梁 - 智恵子大橋(下流側)

脚注

[編集]
  1. ^ 橋梁年鑑 安達ヶ橋 詳細データ - 日本橋梁建設協会、2018年4月6日閲覧。
  2. ^ 供中橋1900-9 - 土木学会付属土木図書館、2018年4月6日閲覧。
  3. ^ 供中橋1908-11 - 土木学会付属土木図書館、2018年4月6日閲覧。
  4. ^ 供中橋1911-9 - 土木学会付属土木図書館、2018年4月6日閲覧。
  5. ^ 供中橋1915-3 - 土木学会付属土木図書館、2018年4月6日閲覧。
  6. ^ a b 安達ケ橋(旧・供中橋)1950- - 土木学会付属土木図書館、2018年4月6日閲覧。
  7. ^ 福島県 - 中日本建設コンサルタント、2018年4月6日閲覧。