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安部千太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

安部 千太郎(あべ せんたろう、1891年(明治24年)1月19日 - 1979年(昭和54年)1月26日)は、明星団の組織者である。

1891年(明治24年)、宮城県の農家に生まれる。尋常小学校4年で、1年生の助教を務めた。仙台中学校に在学中にハンセン病を患い退学する。

1898年(明治31年)に上京し、外国語学校でドイツ語を学んだ。外国語学校在学中の1901年(明治34年)に日本メソジスト教会牧師高木壬太郎とH・H・コーツから洗礼を受ける。1903年(明治36年)に外国語学校を退学し、棄教して放浪生活を送った。

1906年(明治39年)に前川忠次郎に導かれ、1907年(明治40年)には信仰を回復する。1908年(明治41年)、山形県楯岡(村山市楯岡)に出入りし、1910年(明治43年)より柏木聖書学院で半年間聴講し、1911年(明治44年)から4年間伊豆大島で保養したのち、1914年(大正3年)より東京で病者伝道を始める。病者団体として明星団を組織する。

1917年(大正6年)に東京田端へ転居し、1921年(大正10年)に草津温泉に移って各地を巡回伝道した。

参考文献

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  • 『日本キリスト教歴史大辞典』教文館、1988年