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吉本博

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宋才博から転送)
吉本 博(宋 才博)
基本情報
国籍 大韓民国の旗 韓国
出身地 日本の旗 日本
山口県徳山市
生年月日 (1956-10-15) 1956年10月15日(68歳)
身長
体重
181 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手内野手外野手
プロ入り 1974年 ドラフト3位
初出場 NPB/1978年9月7日
KBO/1988年
最終出場 NPB/1987年6月18日
KBO/1991年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • OBベアーズ
    斗山ベアーズ (1992 - 2017)

吉本 博(よしもと ひろし、1956年10月15日 - )は、山口県徳山市出身の元プロ野球選手捕手内野手外野手)・コーチ

在日韓国人であり、本名および韓国プロ野球(KBO)での登録名は、宋 才博(ソン・ジェバク[1]송재박)。

経歴

[編集]

南陽工業高校では大型捕手として注目を集め、1974年のドラフト3位で太平洋クラブライオンズに入団。の故障で長く一軍に定着できなかった。

1979年には長打力を買われフロリダキャンプに選抜され、4月21日ロッテ戦(川崎)でシーズン初出場。この試合は終盤までに山村善則伊原春樹と三塁を守れる選手を使い果たしてしまった為、本来捕手である吉本が途中から三塁の守備に就いたが、吉本が現役時代に三塁を守ったのは後にも先にもこの試合だけである。5月6日のロッテ戦(西武)で同年初めて7番・右翼手として先発起用され、シーズン初安打となる二塁打を放った。その後も本職の捕手としての出場機会が無いまま迎えたシーズン終了間際の9月27日阪急戦(西宮)でようやくプロ入り後、初めて捕手として起用された。10月3日南海戦(西武)からシーズン最終戦までの9試合全てで捕手として先発出場し、同9日日本ハム戦(西武)では、4回裏に佐伯和司からソロ本塁打を放ち、プロ入り初本塁打・初打点を記録。

1980年には外野手登録から捕手登録へ変更し、春季キャンプから新人の大石友好と正捕手の座を争った。開幕戦こそ大石に先発マスクを譲ったが、開幕3戦目で吉本が先発マスクを被った後は、ほとんどの試合で吉本が先発で起用された。5月に入ると打撃の調子も上昇し、同12日近鉄戦(日生)で橘健治からシーズン1号本塁打を放つと、18日19日の南海戦(西武)では大石弥太郎名取和彦から2試合連続で本塁打を放った。6月14日の阪急戦(西宮)から同19日の近鉄戦(西武)の5試合では、計17打数8安打、3本塁打、6打点と固め打ちをした。その後も吉本が先発マスクで起用され続け、正捕手の座をほぼ掴んだかと思われたが、7月から8月にかけて約2ヶ月弱も離脱してしまった。それでも8月末に一軍へ戻った後は、シーズン終了まで主に吉本が先発マスクを任され続けた。10月4日のロッテ戦(川崎)では一塁手として先発起用され、3度の守備機会も無難にこなした。同年は捕手として75試合に出場し、うち57試合で先発マスクを被った。一方、正捕手争いのライバル大石も吉本と同じく捕手として75試合に出場していたが、両者とも決め手を欠く内容で正捕手の座を奪取とはならなかった。前期に6本塁打を放つなどシーズン通算8本塁打で「田淵二世」と称され[2]、強打の捕手として期待されたが、一方の守備力は低かった。1981年も大石と併用されるが、肩が特に弱く32連続盗塁阻止失敗のワースト記録を作った。同年の7月19日の日本ハム戦(平和台)では永射保柏原純一敬遠球を本塁打にされるが、敬遠をするために立ち上がっていた捕手は吉本であった。永射は1球目と2球目は外角に外していたが、3球目の内角気味の球を柏原に本塁打にされた。

1982年には黒田正宏が移籍入団で出場機会が減少。

1983年開幕直前に清水宏悦と交換トレードで、横浜大洋ホエールズに移籍。ここでは代打、外野手一塁手として起用される。

1984年には主に左翼手として15試合に先発出場した。

1986年には出場機会が減少。

1987年限りで退団。

1988年から1991年まで、本名の宋才博としてKBOのOBベアーズ1988年 - 1990年)と太平洋ドルフィンズ1991年)でプレーした。

引退後の1992年からOBの後身である斗山ベアーズでコーチ・二軍監督などを務め、打撃コーチを務めていた2001年、斗山打線を立て直しプレーオフ・韓国シリーズ制覇に貢献した功績を評価され、KBOのプロ野球大賞における優秀コーチ賞へ選出された[3]。また、日本プロ野球出身者としては、初の受賞者となった[3]

2018年より斗山の二軍コーディネイターとなり、コーチの職務からは退いた。

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1978 クラウン
西武
8 11 11 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 2 1 .091 .091 .091 .182
1979 22 40 35 4 8 3 1 1 16 6 0 1 0 2 2 0 1 6 1 .229 .275 .457 .732
1980 76 207 192 24 51 11 0 8 86 22 1 1 3 1 11 0 0 34 5 .266 .304 .448 .752
1981 74 146 135 14 31 4 1 5 52 11 1 1 1 1 8 0 1 23 2 .230 .276 .385 .661
1982 4 5 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1983 大洋 14 13 12 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 1 1 .083 .154 .083 .237
1984 35 76 71 9 14 3 1 5 34 15 0 1 0 1 4 0 0 13 0 .197 .237 .479 .716
1985 31 51 49 4 11 3 0 2 20 3 0 0 0 0 2 0 0 9 0 .224 .255 .408 .663
1986 5 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1987 9 11 11 0 3 0 0 0 3 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .273 .273 .273 .545
1988 OB 90 308 261 42 81 13 2 13 137 51 3 2 0 3 36 1 8 30 2 .310 .406 .525 .931
1989 86 271 234 21 62 14 3 3 91 33 0 1 1 3 31 1 2 34 5 .265 .352 .389 .741
1990 41 130 108 9 24 4 0 0 28 6 1 0 3 2 16 1 1 22 0 .222 .323 .259 .582
1991 太平洋 30 55 51 1 10 1 0 0 11 5 1 0 1 0 3 1 0 14 0 .196 .241 .216 .456
NPB:10年 278 564 525 55 120 24 3 21 213 58 2 4 4 5 28 0 2 91 10 .229 .268 .406 .674
KBO:4年 247 764 654 73 177 32 5 16 267 95 5 3 5 8 86 4 11 100 7 .271 .361 .408 .769
  • クラウン(クラウンライターライオンズ)は、1979年に西武(西武ライオンズ)に球団名を変更
  • 表中の太平洋(1991年在籍)は、KBOの太平洋ドルフィンズ

年度別守備成績

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年度 試合数 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1979 11 10 2 .167
1980 75 49 23 .319
1981 68 49 7 .125
通算 154 99 32 .244

表彰

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KBO
  • プロ野球大賞 優秀コーチ賞:1回 (2001年)

記録

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NPB

背番号

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  • 49 (1975年 - 1980年)
  • 32 (1981年 - 1982年)
  • 41 (1983年)
  • 4 (1984年 - 1987年)
  • 7 (1988年 - 1991年)
  • 79 (1992年 - 2017年)

登録名

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  • 吉本 博(よしもと ひろし、1975年 - 1987年)
  • 宋 才博(ソン・ジェバク、1988年 - 2017年)

脚注

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  1. ^ 盛り上がる韓国のプロ野球 【韓国野球が熱い理由】 (2/3)
  2. ^ 『昭和56年度版プロ野球大百科』p253(1981年4月、勁文社
  3. ^ a b 『週刊ベースボール』2001年12月31日号P100掲載「韓国プロ野球リポート」

参考資料

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関連項目

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外部リンク

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