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山村善則

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山村 善則
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府和泉市
生年月日 (1955-04-11) 1955年4月11日(69歳)
身長
体重
179 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 1973年 ドラフト1位
初出場 1975年5月18日
最終出場 1989年7月8日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 福岡ダイエーホークス
    福岡ソフトバンクホークス (1990 - 2012)

山村 善則(やまむら よしのり、1955年4月11日[1] - )は、大阪府和泉市出身の元プロ野球選手内野手外野手[1]コーチ

弟は1977年ドラフト6位)-1979年に外野手としてライオンズに在籍した山村勝彦

経歴

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プロ入り前

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大鉄高校では3年時の1973年夏の甲子園大阪府予選で準々決勝へ進出するが、エース有田二三男を擁する北陽高に敗退。同年のドラフト1位で太平洋クラブライオンズへ入団[1]。「有藤通世2世」という評価を受けていた。

現役時代

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1975年5月18日南海戦(大阪)に江藤慎一選手兼任監督の代走で初出場。同年5月30日ロッテ戦(川崎)では木樽正明から初安打・初本塁打を放ち、直後の6月1日には成田文男から2打席連続本塁打を記録。

1976年からは退団したドン・ビュフォードに代わってレギュラー三塁手となり、同年は112試合に出場。

1979年には五番打者としても起用され、規定打席(打率.269、32位)にも到達するが、守備に問題があり、レギュラー三塁手を務めた1976年、1978~79年の3シーズンでの失策数はそれぞれ、31、25、27個だった。

1980年テーラー・ダンカンが入団したため、左翼手にコンバートされるが、打撃面で低迷し、出場機会が減少する。

1981年は打棒が復活し、打率.301を記録するが、テリー・ウィットフィールドの入団もあってレギュラーには届かなかった。

1982年のキャンプイン直前、片平晋作黒田正宏との交換トレードで、山下律夫と共に南海ホークスへ移籍。

1983年にはレギュラー左翼手として108試合に出場し、打率.294の好成績を残す。

1985年以降は池之上格の故障もあり、内・外野を兼ねて準レギュラーとして活躍するが、1989年に現役を引退。

引退後

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引退後もコーチで残留。2003年から2軍打撃コーチになったが、若手が伸び悩み、2011年からは3軍打撃コーチ。2012年に解任された。

2013年からは球団職員となり、編成・育成部国内担当に転身。

2017年現在、編成育成部スカウト室においてプロスカウトを担当[2]2024年限りで退団[3]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1975 太平洋
クラウン
西武
32 32 29 4 8 1 0 3 18 5 0 0 0 0 2 0 1 4 0 .276 .344 .621 .964
1976 112 365 326 23 73 5 0 6 96 26 3 6 11 2 20 2 6 44 9 .224 .280 .294 .574
1977 88 216 200 13 43 7 2 0 54 18 0 2 1 2 8 0 5 27 5 .215 .260 .270 .530
1978 104 335 316 42 91 7 0 13 137 41 3 3 2 1 13 1 3 26 13 .288 .321 .434 .755
1979 122 410 386 48 104 24 1 11 163 49 4 4 3 2 16 0 3 45 7 .269 .302 .422 .724
1980 59 138 129 12 27 1 0 5 43 13 0 2 3 1 4 0 1 20 3 .209 .237 .333 .570
1981 84 182 166 21 50 12 1 4 76 26 2 1 4 1 7 0 4 18 4 .301 .343 .458 .801
1982 南海
ダイエー
49 123 108 10 28 6 1 1 39 8 0 0 0 1 13 1 1 14 5 .259 .341 .361 .703
1983 108 323 296 26 87 14 3 6 125 32 3 3 6 2 17 0 2 33 6 .294 .334 .422 .757
1984 53 91 84 11 18 4 0 1 25 10 0 0 0 0 7 0 0 5 2 .214 .275 .298 .572
1985 77 200 178 20 44 9 0 7 74 25 2 3 1 2 14 1 5 36 2 .247 .317 .416 .732
1986 115 359 333 26 86 7 0 7 114 34 1 6 4 2 13 1 7 71 11 .258 .299 .342 .641
1987 100 276 244 22 62 6 0 5 83 26 1 3 5 3 21 0 3 35 5 .254 .317 .340 .658
1988 46 91 84 9 16 2 0 1 21 5 0 0 0 1 6 1 0 18 2 .190 .242 .250 .492
1989 4 7 7 0 2 1 0 0 3 0 1 0 0 0 0 0 0 2 0 .286 .286 .429 .714
通算:15年 1153 3148 2886 287 739 106 8 70 1071 318 20 33 40 20 161 7 41 398 74 .256 .303 .371 .674
  • 太平洋(太平洋クラブライオンズ)は、1977年にクラウン(クラウンライターライオンズ)に、1979年に西武(西武ライオンズ)に球団名を変更
  • 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更

記録

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初記録
節目の記録
  • 1000試合出場:1986年10月8日、対日本ハムファイターズ26回戦(大阪スタヂアム)、7番・三塁手で先発出場 ※史上267人目
その他の記録
  • 初打席から2打席連続本塁打:1975年6月1日、対ロッテオリオンズ前期13回戦(川崎球場)、8回表に成田文男からソロ ※史上初

背番号

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  • 33 (1974年 - 1975年)
  • 8 (1976年 - 1977年)
  • 5 (1978年 - 1989年)
  • 75 (1990年 - 1997年、2005年 - 2012年)
  • 85 (1998年 - 2002年)
  • 77 (2003年 - 2004年)

脚注

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  1. ^ a b c 『'86プロ野球選手写真名鑑』、日刊スポーツ出版社、1986年4月、P127。
  2. ^ ロッテ佐々木を警戒 ソフトバンク・スカウトが視察”. 日刊スポーツ (2017年1月13日). 2017年5月13日閲覧。
  3. ^ スタッフの退団について福岡ソフトバンクホークス公式サイト2024年11月1日配信

関連項目

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