宗悟寺
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宗悟寺 | |
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山門 | |
所在地 | 埼玉県東松山市大谷400 |
位置 | 北緯36度04分41.4秒 東経139度23分15.3秒 / 北緯36.078167度 東経139.387583度座標: 北緯36度04分41.4秒 東経139度23分15.3秒 / 北緯36.078167度 東経139.387583度 |
山号 | 扇谷山[1] |
宗派 | 曹洞宗[1] |
本尊 | 釈迦如来 |
創建年 | 鎌倉時代初期 |
開基 | 若狭局[1] |
中興年 | 天正20年(1592年)[1] |
中興 | 森川氏俊[1] |
文化財 | 森川氏累代の墓(東松山市指定文化財) |
法人番号 | 6030005011406 |
歴史
[編集]鎌倉時代初期、若狭局の開基である。若狭局は鎌倉幕府第2代将軍源頼家の妻妾であったが、比企能員の変による比企氏滅亡、夫の頼家の殺害により、比企氏の根拠地であった武蔵国比企郡に隠棲、頼家や自分が産んだ一幡、比企一族の菩提を弔う寺を創建した。これが当寺の起源である[2]。
1590年(天正18年)、関白豊臣秀吉の命により、徳川家康は関東地方に転封された。家康の家臣の森川氏俊は当地を所領として与えられた。1592年(天正20年)、氏俊は近くの比丘尼山に位置していた当寺を現在地に移転させ、これまで「大谷山寿昌寺」と称していたのを「扇谷山宗悟寺」に改称させ、森川氏の菩提寺とした[3]。
その後、森川氏の嫡流は旗本となっているが、氏俊の三男重俊は下総国に生実藩(現・千葉県千葉市)を立藩している。
文化財
[編集]- 森川氏累代の墓(東松山市指定文化財 昭和55年1月10日指定)[4]
境内
[編集]交通アクセス
[編集]- 路線バス藤山停留所より徒歩29分。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 新編武蔵風土記稿 大谷村.
- ^ 敏蔭英三、秋山喜久夫 著『ふるさとの寺』埼玉県郷土史料刊行会、1971年、154-159p
- ^ 扇谷山宗悟寺(せんこくさんそうごじ)東松山市観光協会
- ^ 森川氏累代の墓東松山市
- ^ a b “鎌倉時代以来820年ぶりの「和解」 戦った北条氏と比企氏 東松山で歴史研究家ら握手”. 東京新聞 (2023年9月2日). 2023年9月9日閲覧。
参考文献
[編集]- 敏蔭英三、秋山喜久夫 著『ふるさとの寺』埼玉県郷土史料刊行会、1971年
- 「大谷村 宗悟寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ195比企郡ノ10、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764006/108。