宗慶寺
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宗慶寺 | |
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所在地 | 東京都文京区小石川4-15-17 |
位置 | 北緯35度42分59.6秒 東経139度44分36.8秒 / 北緯35.716556度 東経139.743556度座標: 北緯35度42分59.6秒 東経139度44分36.8秒 / 北緯35.716556度 東経139.743556度 |
山号 | 吉水山[1] |
院号 | 朝覚院[1] |
宗派 | 浄土宗[1] |
本尊 | 阿弥陀如来[1] |
創建年 | 応永22年(1415年)[1] |
開山 | 聖冏上人[1] |
法人番号 | 7010005000418 |
歴史
[編集]浄土宗の僧侶聖冏上人が1415年(応永22年)に、この地で庵を編んだのが起源である[2]。
その後、1621年(元和7年)、徳川家康の側室で松平忠輝の母である朝覚院の墓所となり、「吉水山朝覚院宗慶寺」と称して寺院化した[2]。
現在の建物は2015年10月竣工。設計は河原泰建築研究室。
寺宝等
[編集]墓所
[編集]- 茶阿局(朝覚院)(徳川家康側室、本堂前に鎮座)
- 橋本実麗(公卿、伯爵。青山霊園に改葬)
- 伏原宣足(公卿、子爵)
- 野口勝一(ジャーナリスト、衆議院議員、野口雨情の叔父。本堂横に顕彰碑あり)
- 金子迪篤
- 荒木東一郎(経営コンサルタント)
戒名は鷹翔院殿東誉全能大居士
1976年の普請に際し、荒木東一郎が当時の住職に東京の墓地事情の見通しと対策を説き、「ロッカー式納骨堂」の設計構想を提唱し完成させた。そのため現在は墓地はなく、納骨堂のみである[3]。
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 小石川仏教会「小石川の寺院」刊行委員会 編『小石川の寺院(上巻)』小石川仏教会、2002年
- 斎藤長秋 編「巻之四 天権之部 吉水山宗慶寺」『江戸名所図会』 3巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、16-17頁。NDLJP:1174157/13。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 河原泰建築研究室 - 宗慶寺