宝生金五郎
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宝生 金五郎(ほうしょう きんごろう)は、幕末から明治期にかけて、ワキ方宝生流(下掛宝生流)家元で用いられた名。
七世
[編集]6世宝生新之丞英勝の子。8世宝生新朔と9世宝生金五郎英周の父。
九世
[編集]九世 宝生 金五郎(ほうしょう きんごろう、1841年6月6日(天保12年4月17日) ‐ 1905年(明治38年)2月21日)はワキ方宝生流能楽師[1][2]。本名は英周[1][2]。通称は英五郎[2]。
経歴
[編集]宝生流の9世家元で[1][2]、実兄で8世家元の宝生新朔(喜勢太郎英才)や実父の7世家元宝生蕃弥(金五郎)から能楽を学んだ[2]。後に「ワキ方の名人」と呼ばれた[1][2]。新朔は実兄で準養子[1][2]。宝生新は息子[2]。