宮崎喜久太郎
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宮崎 喜久太郎(みやざき きくたろう、1869年12月1日(明治2年10月28日[1]) - 1929年(昭和4年)5月7日[2][3])は、明治時代後期から大正時代の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。
経歴
[編集]駿河国有渡郡弥勒町(静岡県安倍郡大里村字弥勒を経て現静岡市葵区弥勒)で、宮崎揚之助の長男として生まれる[1]。静岡英学校、国民英学会、白文学院などで英語、漢学を学ぶ[3]。静岡実業銀行頭取、扶桑銀行、駿南銀行、長田貯蓄銀行各取締役などを歴任した[2][3]。
1904年(明治37年)静岡県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[4]から1911年(明治44年)9月28日まで在任した[3]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。