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宮崎富次郎 (二代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

二代目 宮崎 富次郎(にだいめ みやざき とみじろう、1909年明治42年)6月23日 - 没年不明)は、日本の実業家。東洋ラジエーター(現:ティラド)元社長[1][2]宮崎航空工業元社長。幼名は芳太郎[1][2]。ティラド代表取締役 CEO 兼 COO 社長執行役員の宮崎富夫は孫。アニメ監督宮崎駿は甥。

経歴

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東京都出身[1]。宮崎製作所元社長・初代宮崎富次郎の長男として生まれる[1][2]1933年(昭和8年)米沢高等工業学校を卒業後、愛知時計電機に入社[3]。その後、当時宮崎航空工業社長を勤めていた父の死によって社業を継承すべく、22歳の若さで社長のポストに座り、終戦で同社が解散するまで責任を全うした[3]

その後、その腕を買われて1949年(昭和24年)東洋ラジエーター(現:ティラド)の専務に迎えられ、1957年(昭和32年)4月同社社長に就任[1][3]

1949年(昭和24年)大磯にあった黒田家邸を和田義盛公別邸跡に移築した三井家の別荘を、三井系炭鉱会社の元重役で退職金がわりに別荘を与えられた妻・かずゑのおじから買い取り、現在も元湯・陣屋として営業している[4]

人物

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刀剣の鑑定家として著名であった。鍔の名工、奈良三作の一人として称されている『土屋安親の生涯と作品』が宮崎によって著わされ、美術界に一大センセーションを巻き起こした[3]

米沢高等工業学校時代は、米沢の素朴な伝風風景のなかで、音楽部員としてコーラスを指揮していた[3]

家族・親戚

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家族

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親戚

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脚注

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  1. ^ a b c d e 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年9月22日閲覧。
  2. ^ a b c d e 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年9月22日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 実業之世界社「現代人物史」、p451”. 2024年9月22日閲覧。
  4. ^ 【アーカイブ】鳴らぬベルを押し名人の権威を守る? 陣屋事件の真相:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2015年3月11日). 2024年9月22日閲覧。
  5. ^ 笑顔に囲まれ楽しむ第二の人生 アトリエ山桃 館長 紫藤邦子さん | 秦野”. タウンニュース (2015年1月1日). 2024年9月22日閲覧。
  6. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年9月22日閲覧。

参考文献

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  • 実業之世界社現代人物史編集部 編『現代人物史』実業之世界社、1966年。
  • 人事興信所 編『人事興信録 第25版 下』、1969年。