宮崎武之
表示
宮崎 武之 | |
---|---|
生誕 |
1892年6月3日 日本 熊本県 |
死没 | 1977年7月28日(85歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1914年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
宮崎 武之(みやざき たけし[1]、1892年(明治25年)6月3日[2] - 1977年(昭和52年)7月28日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]1892年(明治25年)に熊本県で生まれた[2]。陸軍士官学校第26期卒業[3]。1939年(昭和14年)3月9日に独立歩兵第7大隊長(第1軍・独立混成第3旅団)に就任し[1]、日中戦争に出動[2]。8月1日に陸軍歩兵大佐に進級[1]、1940年(昭和15年)3月に支那駐屯歩兵第2連隊長(北支那方面軍・第27師団)に転じ[1]、天津に駐屯した[2]。1941年(昭和16年)10月に豊橋陸軍教導学校長に転じ[1]、1943年(昭和18年)8月に豊橋第二陸軍予備士官学校長に就任[1]。1944年(昭和19年)3月1日に陸軍少将に進級し[1]、5月10日に独立混成第45旅団長(第10方面軍・第32軍)に就任し、出征[2][3]。石垣島の守備に任じ、終戦を迎えた[2][3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。