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宮田慎一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

宮田 慎一郎(みやた しんいちろう、1854年4月15日安政元年3月18日[1])- 1931年昭和6年)3月24日[2])は、明治から昭和時代初期の政治家衆議院議員(1期)。

経歴

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のちの愛知県出身[2][注 1]。宮田恒七郎の長男[1]。幼くしての鷲津蓉裳の門に、ついで佐藤牧山に門に入り学ぶ[3]1872年(明治5年)義校の世話役となり1873年(明治6年)5月、郡民教導に転じ、翌年の1874年(明治7年)5月、戸長に就任する[3]

1878年(明治11年)1月、村会議員となり、同議長を経て、1880年(明治13年)1月に愛知県会議員に当選する[3]。地方衛生会委員、県会常置委員、県会副議長などを歴任したのち、1886年(明治19年)3月、丹羽葉栗郡長に任命されるが同月中にこれを辞し、治水委員に転じ、所得税調査委員、徴兵参事員、町会議員、県会郡部議長などを歴任した[3]。ほか、愛知県農工銀行取締役や名古屋土地監査役などを務めた[2]

1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では愛知県第4区から出馬し当選するが[2]、任期途中に辞任した。

脚注

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注釈

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  1. ^ 『人事興信録 第4版』み52頁によると大正4年当時の住所は愛知県葉栗郡葉栗村

出典

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  1. ^ a b 人事興信所 1915, み52頁.
  2. ^ a b c d 衆議院、参議院 編 1962, 492頁.
  3. ^ a b c d 木戸 1890, 193頁.

参考文献

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