宮田慎一郎
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宮田 慎一郎(みやた しんいちろう、1854年4月15日(安政元年3月18日[1])- 1931年(昭和6年)3月24日[2])は、明治から昭和時代初期の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]のちの愛知県出身[2][注 1]。宮田恒七郎の長男[1]。幼くしての鷲津蓉裳の門に、ついで佐藤牧山に門に入り学ぶ[3]。1872年(明治5年)義校の世話役となり1873年(明治6年)5月、郡民教導に転じ、翌年の1874年(明治7年)5月、戸長に就任する[3]。
1878年(明治11年)1月、村会議員となり、同議長を経て、1880年(明治13年)1月に愛知県会議員に当選する[3]。地方衛生会委員、県会常置委員、県会副議長などを歴任したのち、1886年(明治19年)3月、丹羽・葉栗郡長に任命されるが同月中にこれを辞し、治水委員に転じ、所得税調査委員、徴兵参事員、町会議員、県会郡部議長などを歴任した[3]。ほか、愛知県農工銀行取締役や名古屋土地監査役などを務めた[2]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では愛知県第4区から出馬し当選するが[2]、任期途中に辞任した。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 木戸照陽 編『日本帝国国会議員正伝』田中宋栄堂、1890年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。